発達特性の障害を感じる社会人を受け入れることのできる体制は、残念ながらこの日本にはまだ無いと感じずにはいられない。
もちろん、学校レベルでもまだ存在しない。
これは、学校レベルでは対処できないということでもある。
もちろん、インクルーシブ教育だとか通級だとか、支援するシステム自体はある。
さらに、早期に特性を見極めるシステムもある。
しかし、それらはどれも「きびしい」と本人もしくは保護者が判斷することが前提である。
本人も保護者も判断せずに社会人になってしまうと、手の施しようがない状態であることがほとんどではないだろうか。
そんな当事者たちを慰めようとしているかのような「診断を受ければ少し楽になる」みたいなことを言う人もいるだろうし、そう宣伝している団体もいる。
本当に楽になる人もゼロとはいわない。
だけれども、結局彼らが欲しいのはこの状況を何とかする方法なのだ。
その方法の1つが薬なのだが、無闇矢鱈と処方されるものでもない。
だから、やるとしたら薬以外となる。
薬以外では、伴走体制を作るか、あるいは職場環境を整えるか、はたまたその状況を背負える者が職場で指導して自立させるかだ。
伴走体制は当人のコストが増大する。
職場環境は職場のコストが増大する。
そして、背負える者が指導するというのは指導者のコストが増大する。
このうち、最も効果が大きく長続きするのは最後の指導者だ。
なぜなら、職場としては指導者に賃金で還元すれば良く、指導者自身も価値を示すことができるからだ。
だが、この指導者というのは、任命すれば良いものではない。
指導者自身にその意志と技術があることが前提となる。
こうした指導者の確保が今後急務となるだろう。
急務となる理由だが、これは簡単な話だ。
いわゆるタイパに価値を誤って見いだして成長してきた若者が増えてきているからだ。
また、そこに輪をかけて良くないのが、ドパガキ化だ。
この複合的な環境の力は、彼らの行動を制限する方向に働く可能性が高い。
具体的な制限は3つある。
- 既存のシステム1のみで生きれそうだと誤認すること
- システム2の起動抑止もしくは起動回避
- 短絡的なコンテンツへの重度の依存
これらはどれも社会生活を困難にするものだ。
社会人で揉まれてこれらの制限を解除できた者はラッキーだ。
しかし、解除できなかった者は地獄を感じているだろう。
僕はこうした者たちをあるべき姿へと調整する立場で活動を進めている。
今後、その活動の詳細を明らかにするだろう。
これは彼らに向けてというよりも、彼らを資源としてマネジメントしないといけない者たちへ向けた新しいやり方となる。
現在、現場での最終実験を実施中である。
2027年には整理し、公開する予定。
もしかしたら有料コンテンツにするかもしれないが、高くてもワンコインにはおさめようと考えている。
以上。



