戯画日誌;亡き母が好きだった三本の映画 | 戯画日誌

戯画日誌

キネマ旬報でやっていた連載を受け継ぎつつ、アニメーションに限らず映画全般、書きたくなったものを書いていこうと思います。

先日、母を看取った。


今は本通夜の最中で、線香を絶やさぬように夜通しの番を息子たちが交代でやっているところである。


満86歳、女性の平均寿命には少し達していないが、それでも頑張った方ではあると思う。


母は映画が好きだった。


今、自分がこのように映画のモノ書きなどをやれているのも母の影響で、幼い頃から母の好きだった映画の話を良く聞かされたものである。


そんな母が好きだった映画のことを、今、うつらうつらと思い出している。


『二十四の瞳』1954年


壺井栄の同名小説を、木下恵介監督のメガホンで映画化。


言わずと知れた日本映画史上に残る名作である。


母は木下恵介監督作品が全般的に大好きで、割と文才があったことから(子育てしながらも趣味で童話などをよく書いていて、一度地元の新聞に掲載されたこともあった。晩年も日記をずっとつけていた)、彼に自作のシナリオを送ったこともあったという。


どんな内容だったのかは教えてくれず、また木下監督から返事など来るはずもなかったわけだが(まあ、普通に考えれば来ないだろう)、それでも良き思い出だと常々言っていた。


振り返るに、映画を作るために監督という存在がいることを教えてくれたのも、母だったような気がする。


『にあんちゃん』1959年


貧しい境遇ながらも兄妹たちが健気に生きていくさまを爽やかに描いた、今村昌平監督作品の中では異色ともいえるヒューマン映画。


劇中の兄妹ほど貧しかったわけではないが、戦後の諸事情で高校進学も叶わなかった母にとって、あの兄妹(特に原作日記を記していた10歳の少女)にはどこかシンパシーを感じていたのかもしれない。


その原作日記も映画を見た当時に買っていたらしく、自分が小学校低学年の夏、台風で町中が停電し、蝋燭の灯りでその小説を読み聞かせしてくれた夜のことは、今もはっきり覚えている。


『切腹』1962年

母が一番好きだと言っていた、小林正樹監督作品。


封建制度の非を描き、今なお世界的にその名を驚かせている名作だが、一番好きと言いながら実は一回しか見ておらず、見直そうという気もないという。


要は、石濱朗扮する若き武士が竹光で切腹させられるシーンがあまりにも衝撃的すぎて、『切腹』というタイトルを聞くと即あのシーンを思い出してしまうのだそうだ。


後年、DVDを送ったこともあったが、見てくれたかどうかは結局わからないままである。


母との交流の中、おそらく彼女が一番好きだったのは『二十四の瞳』及び木下恵介監督作品だったようには思う。


ただ、一番好きな映画は『切腹』であるというコメントを変えることは生涯なかった。


そういえば、私が東京の大学に進学したことで母が初上京した折、映画が見たいというので連れていったのが今村昌平監督の『楢山節考』だった。


『楢山節考』1983年


あとでそのことを大学映画サークルの面々に話したところ、「親不孝モノ!」と野次られた。


そこで初めて、あ、あれって親を捨てる話だったっけ!? ということに気付かされたのだが、指摘されるまで私も母も全くその意識はなく、単に木下恵介監督の『楢山節考』と比べてどうだろうね?という興味だけだった。


事実、観賞後の母の感想も「木下監督のものより生々しいけど、こっちはこっちで良かったね」という優しいものだった。


木下監督版の田中絹代も良かったけど、今回の坂本スミ子もすごいねえと、かなりご満悦だった記憶がある。


……今ふと、母の好きな映画の監督(木下&今村)に絡んだ作品を、当時一緒に見ていたことに気付かされた。


洋画より圧倒的に邦画が好きで、作品は松竹びいきだったが、スターは圧倒的に東映・中村錦之助の大ファン。


『笛吹童子』1954年

テレビの歌番組などで男性アイドルが少女たちからキャーキャー騒がれているのを眺めながら「錦ちゃんに比べたら……」と、フッと勝ち誇ったような笑みで呟いていたことを、今も思い出す。


個人的に、ある美人女優に似ていると子供の頃は思っていたのだが、母は何とその女優が大嫌いだった。


ただただ単純に顔が嫌いなのだと言っていたが、どこかで自分が似ているのを意識して過剰反応していたのかもしれない。

(ちなみに、自分が今までで一番綺麗だと思った女優は、大映『千姫』の京マチ子とのこと)


『千姫』1954年


老いてくると星由里子の晩年のルックがお気に入りとなり、彼女の髪型を真似したりもしていた。


アニメーション映画『君の名は。』が大ヒットしている折は、往年の実写メロドラマ映画『君の名は』がアニメになったと勘違いしていた。


などなど、いろいろ思い返していくうちに、もうじき夜が明けてきそうだ。


これからも、映画を見続けることが、母への供養になり、対話になっていくのかもしれない。