戯画日誌/『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』を堪能しながら振り返ってみたこと | 戯画日誌

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キネマ旬報でやっていた連載を受け継ぎつつ、アニメーションに限らず映画全般、書きたくなったものを書いていこうと思います。

3月1日より『映画ドラえもん のび太の地球交響楽(ちきゅうシンフォニー)』が公開されるが、今回も安定した良好な出来だ(まだ公開は少し先なので細かい批評は避けておきますが、とりあえずは今度もOKです!)。

 


監督は『映画ドラえもん のび太の宝島』(18)『映画ドラえもん のび太の新恐竜』(20)の実績がある今井一暁で、当然今回も期待を裏切らない。

 

ストーリーもオリジナルで、「もしも世界から音楽がなくなってしまったら?」というシンプルながらも誰もが大なり小なり興味を抱くだろうテーマに言及しているのが奥深い。

 

さて、実は私、おそらく同世代のドラえもんファンとしてはマイノリティなのかもしれないが、

旧スタッフ&キャスト時代よりも『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』(06)から今に至るスタッフ&キャスト作品群の方が圧倒的に好みである。

 

なぜなら映画版第1作『映画ドラえもん のび太の恐竜』(1980)初公開時には既に高校生で妙に斜め読みしてしまったのか、どうにも「大人が子供に向けて作ってます」臭がしてならず(今見直すと決してそういうことはないのだが)、以降もどこかしら偏見を払拭しきれないまま今に至ってしまったのだ。

 

もう一つ、やはり当時のスタッフが自分よりも大人世代であったことから、どこかしら感性の微妙なズレみたいなものを感じてしまっていたのだとも思う。

 

しかし時が経ち『のび太の恐竜2006』を見たとき、いかにも自分たちと同じ世代が作ったと思しき新しい『ドラえもん』をようやく見ることができた気がして、本当にフィットした肌感覚で、以後も楽しく見続けることができているのである。

 

もっとも『のび太の恐竜2006』から早20年近く経ち、既に当時の子供たちが大人になってアニメーション業界入りしていても全然おかしくはない今、いずれはまた次代による新たな感覚の『映画ドラえもん』が生まれ、新たな世代にフィットしたものを作ってくれるのだろう。

 

時代時代によって少しずつ変わっていきながら続いていく長寿シリーズとして『映画ドラえもん』もその貫録を示し始めて久しいのであった。