戯画日誌/生誕100周年を迎えた岡本喜八監督と『劇場版 科学忍者隊ガッチャマン』 | 戯画日誌

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キネマ旬報でやっていた連載を受け継ぎつつ、アニメーションに限らず映画全般、書きたくなったものを書いていこうと思います。

一日遅れてしまったが、2月17日は岡本喜八監督の誕生日だった。


何と生誕100周年!


それを記念して、今年は特集上映などいろいろな企画が催されるようだ。


そんな岡本喜八監督だが、「戯画日誌」的見地でいくとアニメーションに対する理解が深かったこともぜひ特筆しておきたい。


それはまだアニメーション映画が漫画映画と呼ばれていた時期から、岡本監督はたとえば『江分利満氏の優雅な生活』(63)劇中や『殺人狂時代』(67)メインタイトルにアニメーションを導入するなどの面白い試みをやってきていた。


そうした中、国産アニメーション・ブームが始まってまもない1978年、彼は鳥海永行監督作品『劇場版 科学忍者隊ガッチャマン』の総指揮を務めている。



この時期のアニメーション映画はまだ実写畑の監督クレジットなどがないと興行的に弱いと考えられており、いわゆる「名前貸し」的にさまざまな監督の名前が監督や監修といった表記でクレジットされることがままあった。


もっとも『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78)の舛田利雄監督は「あれは俺の映画だ」と自信を持って宣言しているし、『龍の子太郎』(79)の浦山桐郎監督や『地球へ…』(80)の恩地日出夫監督は、作画スタッフが困惑するほど制作現場にのめり込んで辣腕を振るっていたとも聞く。


そういった中で『劇場版 科学忍者隊ガッチャマン』の岡本喜八は、さすがに彼らほど深入りはしておらず、そもそもはやはり興行的な要請だったようだ。


もっとも、実は鳥海永行監督が岡本監督の大ファンだったことで、むしろ喜んで自ら岡本喜八に総指揮の任を懇願し、それに応えて岡本もいくつかアドバイスを施すなど、単なる「名前貸し」以上の功績は確実に残しているように思えてならない。


何よりも憧れのエンタメの鬼才から映画的助言を得たことだけでも、鳥海監督らスタッフは大いに奮い立つものがあったのではないだろうか。


実際、岡本喜八監督とその作品群はアニメーション関係者のリスペクトも深い。


その代表格として挙げられるのが庵野秀明監督で、特に『激動の昭和史 沖縄決戦』(71)『ブルークリスマス』(78)といった、それまで岡本作品の中で決して公開時は高反応とは言いきれなかった作品群が再評価されるようになったのには、『新世紀エヴァンゲリオン』(95~)『シン・ゴジラ』(16)などの自作を通して庵野監督がオマージュ的リスペクトを吐露していったことも大きいだろう。



ちなみに1978年の岡本喜八は『劇場版 科学忍者隊ガッチャマン』製作総指揮以外にも、監督作品として映画『ダイナマイトどんどん』『ブルークリスマス』を発表。テレビドラマでも土曜ワイド劇場初期の快作『幽霊列車』を演出するなど、喜八ファンにとって実に嬉しい年でもあった。


その後も景山民夫原作『Coo/ 遠い海から来たクー』(93)の脚本を担当するなど(はじめは岡本監督のメガホンで実写映画化する企画もあったが、結果的には今沢哲男監督の長編アニメーション映画として成立)、アニメーションとのゆかりも深かった岡本喜八監督。



綿密な画コンテに基づく彼独自の短かくリズミカルなカッティングがもたらす映画的高揚は、やはり画コンテを作業の必須としがちなアニメーションに携わる人々にとって、大いに魅力的なものだったのだろう。


さりげなくも着実に、岡本喜八監督とその作品群が今に至るアニメーションの担い手に与えた影響は多分なものであったと、今なお勝手に信じている次第である。