■スタイルキューブ22年目に突入 | たかみゆきひさオフィシャルブログ「shadowcube」Powered by Ameba

■スタイルキューブ22年目に突入

おかげさまで平成11年1月11日が誕生日なスタイルキューブは昨日めでたく無事21歳を迎えることができました。
しかし決算が11月なため、いつもバタバタでついつい忘れがち(11月決算なので今月はバタバタです)。
年末からシームレスなのでいつが正月だったのかも自覚無しですが、22年目も社会貢献に努めます。
21年間続けられたのは社会貢献に努めてきたからだと強く感じます。それを教えてくれたのは2000年に亡くなった父親でした。

この業界で仕事を始めて37年、会社にしてから21年。
これまで続けられた自分の原動力の話を書きたいと思います。
(以前FCのコラムに書いたものをアレンジ掲載します。ちょっと長いです)

 

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昨年、誕生日にソリッド・キューブのモーション事業が大好調な原田に「そろそろ野口さんの【やりたいこと】を実現させましょう!」と言われました。そこでふと思ったんです。

あれ、自分ってやりたいことやってるのか?って。

 

1980年代、イラスト描いたりプラモデル作ったり、漫画描いたりをフリーでやってた時は確かに好きなことを仕事にしてた実感ありましたが、それ以外の仕事をやるようになってからは「クライアントのやりたいこと」「タレントのやりたいこと」を実現することが仕事になってずっとここまで来た感ある。

でもだからと言って、それらが自分のやりたい事とは違うのかと言われると、それも違う。

というかそれらの仕事は「やりたい」と思って始めたというよりも、「(他人に評価されている)できること」をやり続けて成果を重ねることによって、「やりたいこと」に変化していった仕事だと思う。

あ、「やりたいこと」というより「やりがいがあること」といった方が近いかもしれないですね。

 

「やりがいがある」っていうのは社会貢献できてるって感じる事とイコールだと思います。やったことが認められて評価され、更には世の中に何かしら役に立っているという事。

 さてそんな流れで、自分の中の超えられない永遠の存在の話をしたいと思います。

 

それは父親です。僕の父は家では仕事のことは殆ど語らず、厳格ないわゆる「亭主関白」な人でした。怒ると非常に怖い、絵に描いたような父親。でもとにかく超頭良くて、知らないことは殆ど無い、背が高くてイケメン(笑)で、戦争中、空襲の中 妹背負って逃げたり、兄弟の学費の為にバイトしてた話などは聞いてた。父の実家は農家なので、決して裕福ではなく、だからこそたくさん勉強して東京工業大学に入り一流企業の研究員となった。でも知ってるのはそのくらい。家にはワケのわからない学会誌が山積。オーディオマニアだった。植物を育てるのが好きだった。ちょっと花木の枝を折ろうものならこっぴどく怒られた。そんな怖い父親だから会話も少なかったし、こんな父親にはならないぞ!とさえ思っていた。

そんな父親がいたもんだから大学は理系に行かないとダメってなってた。

結果僕は理系でも絵が描ける建築学科に入った。高校の頃コソコソやってた仕事を大学生になってからは存分に始めたが、イラスト描いたりプラモデル作ったりアイドル雑誌のライターなんて父親からは全く仕事として認めてもらえなかった。

難しい本や文学ばかり読んでる頭の固い人だからこれは知らないだろうと「指輪物語」の話したら全巻読んでた(映画化されて有名になる20年前の話ね)。しかも家にあった(苦笑)。そこまで網羅してるのか、この人は…。愕然とした。

当時民放で一番奮ってたフジテレビでメジャーな仕事やっててもまるでダメ。どうしたら認めてくれるんだ、NHKならいいのか?なんて思ったこともあった。いつか父親を超えてやるという気持ちが心のどこかにずっとあった。

 

フリーで仕事を始めて16年目で今の会社を興した。会社が2年目だったかな、楽しい仲間とわいわいとやって業績も前年比300%でいい感じの時、何が切っ掛けだったか覚えていないが父親と生まれて初めて2人で地元近くの蒲田で飲んだ。特別な話題も無いから僕は自分の会社の事を色々話した。楽しい仲間たち、大変だけどやりがいのある仕事。その時、ふと父親が言ったんです「お前はいいな」って、「いい仕事してるな」って。あれ?それって認めてくれたって事!?「いいなっていうのは羨ましいってこと?」もしかして父親に勝った?並んだ? 僕は初めてもっと父親話がしたいと思った。

しかしそのすぐ後に父は間質性肺炎で入院、喉に管が通され会話は不能、すぐに意識もなくなり、入院後間もなく亡くなってしまった。

 

父の葬儀は会社の関係者でいっぱいだった。その時、父の同僚のスピーチで僕は初めて彼の仕事と功績を知ることとなった。父が勤めていた会社は大手有名企業であることは知っていたが、世界中のコンピュータ、その他電子機器、生活や社会のインフラを支える様々なものを研究&発明していた。具体的に何かはここでは書かないが、世界的にトップシェアだ。特許もいくつもとっていた。知らなかった…。世界中で彼の研究、発明したものが今なお役立ち、その功績が至る所にある。僕は思った「一生敵わない…」。

そんな誇れる事をしてきたのに自慢げに言うこともなかった。

きっと色んな事件と闘って来たんだろう、精神的にやられる局面だってたくさんあっただろう。

とにかく何も知らなかった事が悔しい。

 

もっと父親話がしたいと思った矢先、それは永遠にかなわないものになってしまった。

 

父親に対して尊敬と誇りでいっぱいになった。自分もかくありたいと強く思うようになった。

業界をより良くしていくための社会貢献がやりがいです。

自分だからこそできる、自分にしかできない社会貢献をしていきたいと強く感じます。

今や自分の作ったフォーマットがそこここで生きているのを見ると、ある程度の貢献はできてると思います。でも父親に比べたらまだまだです。もっともっと貢献できることはあると感じています。綺麗事ですが、そんな綺麗事を貫くことを教えてくれたのも父親だし、そんな父親を慎ましく支えたのは躾に厳しかった母親です。

この業界、綺麗事を貫くのは大変です。

 闇落ちしたらどれだけ楽かと思ったことは何度もあります。

 でもそれはしなかった、できなかった。しなくてよかった。

 これは本当に両親に感謝です。

 

父親は永遠に超えられない、そう思っているからずっと続けられるのかもしれません。

たぶん超えたらそこでおしまいなんです。

永遠に超えられない事に価値がある。

 

父が亡くなって今年で20年、スタイルキューブは22年目を迎え、ずっと右肩上がりで好調ですが、だからこそこれまで通り堅実に引き締めて精進していこうと思います。