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ことのはマイニング

よにうつるおもいあふるるたましいの
あらゆるもののさきわうことを

価値観の転換が迫られています。よね。最近。

 

ひとつは、人工的な…「魔の手」による方の、価値観の転換。
新しい生活様式だの。SDGsだの。持たないシアワセ☆ だの。

 

新しい時代の構成員たる一般人の鋳型としての、

新しい価値観の鎧。いや、檻?

 

結局のところ、同じものですが。

 

探し続けさせるために、渇きを覚え続けさせるために、

永遠にたどり着けない場所に設定される、ゴール。

 

これがこうだったら幸せ。という、お仕着せの幸せ。

 

その「幸せ」のパッケージというか。

見た目が、劇的に変えられようとしていますが、

中身は同じです。

それを幸せだと思って追い求めてしまうと、一生ほとんどの人が満たされない…という、罠。

 

新時代風、進化した風の幸せ。

とてもホンモノに近い、似て非なるもの。

まさに仮想。似非リアル。質の悪い幻。

 

じゃあ本物は何だ、お前は知ってるのかと言われると、困りますが。

知ってはいる。識っている。でもそれはみんなそう。

そしてみんな分からないふりをしている。気付かないふりをしている。そう思います。

 

ホントは答えを知ってるんだよね。みなさま。

 

 

この先。

 

表面的に、悲惨なことが多く起きるのはもう避けられないと思います。

 

だからこそ、「乗り切る」ためには、価値観の転換が必要になってきます。

 

嵐の中にいても幸せでいられるようになるための、物の見方。

ある種の覚悟。ある種の諦念。

それと同時に、揺ぎ無い希望と、揺らがない自己。

 

我慢でもなく。思い込みでもなく。

 

もちろん、お仕着せの価値観でもなく。

 

何を見ても、それを「祝福」だと捉えられる目。繋げられる目。

 

絶望するしかない状況に置かれても、流されないで、

するかしないかを、選ぶことができる心。

してもしなくてもいいのだと、思える心。

 

映し出されている画に左右されない。平静でいられる。いつでも自分自身でいられる。

 

いつでもそこから判断を下し、いつでもそこにいて、

何が起こっても決して侵されることがない、

ある種「神聖」な意識と重なっているような状態を保てること。

 

そういうのが大事だと思います。

 

見た目だけの「救い」を求めて、神だの政府だのにすがっても、祈っても、

本当の意味で救われることはないでしょう。最高でも得られるのは一時的な安心のみです。

 

外側が荒れても、最終的にはなんとか着地点が用意されるでしょうが、

その状態に至るまで、外に救いを求めると

(外が落ち着くこと=救い だという考えでいると)、

出来事・見た目でものを判断してしまうと、揺らされまくって、

内面の嵐が収まることがなく、

心が休まらない状態が長く続くことになるでしょう。

 

(まぁそれが心地いいならそのままでいいです)

 

 

私はストレスで心身共にぐじぐじうだうだ重たくなっているのが嫌なので、

外側が変えられそうにない今、魂をシェルターにする(?)方法というか、

そういう状態で生きる時間を増やしていかないとな、と思っています。

 

本来なら、常時その状態(意識)でいられるのがいいんでしょうけどね。

常にナントカの呼吸を発動し続けている…みたいな。

 

その状態でいると、何があっても「楽」なので、

そういう精神状態というか、意識の人が増えればいいのにな…と思っています。

 

別に目の前で人が死んでもニコニコしてられるよ、という話じゃないです。

人死にという事実から余計な精神ダメージを受け過ぎないで、

あんま取り乱さないで動けるようになるよってことです。

 

でもまぁ…

そんな意味わからんことに興味を持つ人はそう多くないようですね。

 

素直に感じたまま(与えられた価値観に則った反応で)

感情を爆発させてる方が、楽しいみたいです。

 

その方が人間らしいと言えば人間らしいのですが。

 

この先の事を考えると、そういう人たちも、多少は心の制御法というか…

方法を知ってるだけじゃ意味ないんで、制御できるようになっておいた方が、

結果的により「幸せ」に生きられるんじゃねーかなと…。

お節介なことを思っているだけです。

 

さっきも書いたけど、どんだけ酷い状態でも、あらゆる場所に「祝福」はあるんです。

てかそれしかない。本当はね。

それを祝福として拾い上げられる能力が高ければ高いほど、

「幸せ」に生きられると私は思います。

幸せというか、魂的に正の方向というか。上がる方向、または、戻る方向というか。

 

幸か不幸かというのは、主観です。

何があれば幸せとか幸せじゃないとかは、決まってませんし、

他人に決められることではありません。

その人次第。

 

だからまぁその人の持っている主観の…感度(?)を上げるというか。

反応する範囲というか、方向性というのか…。言い表しづらいけど。

偏向度合いを自分で変える…というか。

 

元も子もない言い方をすると「幸せのハードルを下げる」とも言いますw

 

最終的には「生きているだけ、存在しているだけで最高に幸せ^^」となるんだと思います。

 

まぁ私はそんな境地に至ったことも、悟ったこともないので、「予想」ですけど。

 

(近い状態になったことはあるけど、我に返ると何じゃありゃってなったし、

 一瞬で元に戻りました。 

 どこかしらが満たされないからこそ、欲があるからこそ、の、人間…

 という面もあるので、

 生きてる間は、幸せ100%じゃなく浮き沈みがある方がいいっつーか、

 そのためにこうなっているんだとも思います。

 だからといって不幸感MAXで生きるのも辛いので、バランスとろうと言う話です;)

 

ものごとの持つ面の正・負どちら側に、意識をチューニングさせるか。

どちらの「報い」だと感じるか。呪いだと思うか祝福だと思うか。

それをどういう次に繋げていくか。

 

そのあたりを調整することで、

何があっても恐怖や絶望の淵にブチ落とされるということが無くなり…

怒りやら憎しみやらで我を忘れて自分で自分を焼き払ってしまうこともなくなり…

結果的に「救われる」(自分で自分を救う、崖から突き落とさない)

ようになるんじゃないかなーと思います。

 

救われる、というよりは、平穏でいられる・平安を得られる…かな。

 

「祝福」「救い」って宗教チックだし他になんか無いんかと思うんだけど。

まぁ言葉の意味的に合ってるからしょうがないね(

 

 

仕方のないことではありますが、

ソッチ系の素養?性癖?がある人は、だいたい宗教に走りやがるのです。

そして走り去って戻ってこない。

 

今ソチラに参ります神サマあああああァ~~~~~~↑ と。

 

どっか行っちゃうのです。

 

ちゃうねん。

 

そんな全力で走ってもどこにも行けないのに。

 

どこぞで「神様」も待ってない。天国もない。地獄もないのに。

 

ここなの。ここ。

 

走んなくていいの。

 

目指すな。どこかを。

 

 

って思うんですけどね…。

 

みんな迷子です。迷ってないし目的地そのものに立ってるのにね。

 

地図が無いのは、地図が必要ないからなのに。

 

 

などと手から指から変な文が出てくる私も、自分で何言ってんのかよーわからんです。

はよねます。