ここからは、①のブログに対するコメント↓

2020年1月8日 at 4:35 PM

早速の返信をありがとうございます。
新年のご挨拶もせず申し訳ございませんでした。

おかげさまで皆健康に過ごしております。

再挑戦をしてもいいと書いていただいたので、いくつか思うことを書かせていただきました。

>コアの部分は変わっていないと思いますが。
少しだけ優しくなったかもしれません。
それと同時に、無関係な人に対しておせっかいを焼くことが少なくなりました。
優しくなったという言葉に少し期待して読みましたが、今回もザクザク刺さりました・・・笑。
おせっかいが少なくなった要因がご自身にあるのかコメントにあるのかは不明ですが、少なくなることで小鳥遊さんご自身の感情が負の方向ではなく良い方向に進んでいたらいいなぁと他人の目線で思ってしまいました。

>妻がうつ病になってから、彼女自身はもちろん、僕からも「自己肯定感」がドンドンなくなっていった時期があって、人間ここまで荒めるのか、と思うほど荒みました。
私の近しい人でうつ病になった方はいません。知識としては持っていますが想像を絶する大変さであったのだろうと思います。
今は改善傾向にあるとのことで、何よりです。
ブログ読ませていただきました。またコメントさせていただければと存じます。

>それであれば、子どもがいる人にも、子どもがいない人の状況を想像してほしいです。
独身の頃に抱いた苛立ちはどこへ・・・
ひとつ言い訳をさせていただけるのであれば、私は「あなたには子供がいないでしょ?」と言ったことはありません。独身時代に抱いたいら立ちがあったからです。
この意見は本当に面白かったです。
そうですよね。本当にその通りだと思いました。
すみませんでした。

>子どもは、自分の意思でつくれますが、子供のいない人生はたいていの場合自分の意思ではありません。
「自分の意思」の定義が不確かで、とても考えてしまいます。
小鳥遊さんのように様々な事を考え、行動に移している人はそう多くないと感じています。
自分の意思を自分で決められない人も一定数存在します。
それはレイプなどの犯罪ではなく。
若年層で妊娠出産する子供たちの多くは自己肯定感が低く、それを満たすために誰かに優しくしてもいたい。という現象がおこります。また、その両親も若くして子供を産み育てていたりします。
自分で考え行動する能力は、環境によって阻害されると考えています。
小鳥遊さんのブログにもありますが、常に怒られる子供は徐々に自分で考え行動するという事を制限されていきます。でもそれを自覚できません。
自覚できる年齢になった時には子供が生まれていることも多いのではないでしょうか。
これは私の子供が1歳のころに感じたことですが、児童館に行くと親子が少ないです。特に若年層とみられる10代の母親や父親を見かけたことがありません。
子供が生まれて初めてのことだらけなのは、30代でも10代でも同じですが、特に10代の親は白い目で見られると感じることが多いのではないでしょうか。
事実、そういう環境に置かれていると聞いたことがあります。
それはまさに「自分たちの意思で子供をつくった」くせに仕事もしていない無責任な親と非難されることを避けるためだと思います。
そして、10代に限らずですが、育児の情報を必要としている人たちは、育児情報や支援があることなどを知らずに、どこぞの怪しいネットで調べたりすることになるのだと思います。
情報を得る力がない。
どこに行けば助けてもらえそうなのかがわからない。
病院に言ったら「どうして子供がこんなになるまで放っておいたんだ」と怒られるかもしれない。
保健センターがなにかも知らない。健診には行くけど、ジュースを飲ませている事を注意されたからもう行きたくない。

そういう状況にいる方は、やはり「自分の意思で子供を産んだから、自己責任」なのでしょうか。

そうではなく、一般的な環境で子供が欲しくて出産した人を指して言っていることと思いますが、もう、それはなんでも当てはまってしまう気がします。
私は不妊治療を始める前に主人に「子供を授かることが無かったら養子を考えています」と伝えました。子供を預けない働き方がいろいろあるように子供を迎え入れる方法もいろいろあるかと思います。
また、独り身の人に「自分の意思で結婚したのに」と言われたら「自分の意思で独り身でいるんですよね」とも思います。
どうしても自分の血を引いた子供が欲しいとか、高収入の人と結婚したいとか、子供を産んでも働きたいとか・・・
基準は人それぞれと思います。

>なぜあなたやあなたのお知り合いは『保育園無償化にしなくていいので更に保育料をあげてもいいので保育士さんの賃金を上げてほしい』と言っているのに個人でお礼として割増料金を払わないのでしょうか?
考えたこともありませんでした。
そうですね。なぜでしょうか。

さぁ、ここから小鳥遊さんに幻滅されそうなターンになってきました。
あー書きたくない。

私は元来考えることがとても好きです。
意見することも大好きです。
でもそれは自分の生活に影響のないところで。です。

お礼を渡せばいいじゃないかと言われても、私はお渡ししません。
主人は募金ですら嫌がり文句を言うのにそんなことをしたら家庭内がぎすぎすします。
やっとなんとか好転してきているのに家庭内をギスギスさせて子供に負担をかけてまでやりたいとは思いません。

お休みも親同士で話したりしません。
私の価値観は私の価値観で、『保育士さんに休んでいただこうよ!』と言えるほど仲良くありません。私の意見に『自分は賛同しない』と言える方はどの程度いるかわかりませんが、それが一人とか二人とかだと、保護者間での関係が悪くなります。保護者間での関係悪化は子供に影響が出ます。

不特定多数の方が閲覧できるネットという社会においては特に、意図せず私の発言で誰かが傷つく可能性を考えます。その際、攻撃される可能性もあります。
私はSNSを閲覧専用でしか使っていません。
職を失いたくないからです。
○○の教員がこんな事を言っていた。と特定されるのが恐いので、この匿名のコメント欄ですら個人が特定されないように気を付けています。私には娘が二人いますが、あえて息子と書こうかと思ったこともあります。
なぜなら、私は私に自信を持っていません。
私の不用意な発言により私のみならず家族が職を失い、いじめにあう可能性もあります。
そこまでして発信したいと思う事柄はありません。
(ゆえに小鳥遊さんを本当に尊敬しています)

では、募金ぐらいするかと言えば・・・
結婚前に、募金について大喧嘩になりました。ふたりのお金なのに。と。
結婚後に内緒で募金をしたこともありますが、今はもう一切していません。
理由は自分でもよくわかりませんが、主人がイライラして私に対して暴言を吐くのが嫌だからなのかもしれません。
たぶん、離婚したら募金をするようになると思います。
私にとって募金は、自分のためだから。

でも、小鳥遊さんのコメントを読んで、募金したくなったので、今日ジュースを買うのを辞めて150円募金しようと思います。

幻滅しますか?
言ってるだけならだれでもできる。ですよね。
本当にそうだと思います。
それでも、言いたいと思うし。ぬるい意見を伝えていきたいです。

>たいていの人は『自分が傷つかないためなら人が傷ついてもかまわないから』です。
・・・
私は、自分の行動すべてが自分のためです。
『善』の定義はよくわかりませんが、私の行動で『善』と映るものすべては私にとって『偽善』です。
私は自己犠牲の精神が好きではありません。私が睡眠を削って子供を育てているのは子供のためではなく、子供が健やかに幸せに育ってくれたら私が嬉しいからです。
ジュースを買うのをやめるのは飲みたい自分を犠牲にするのではなく、募金をする方が私の幸福度が上がるからです。

>そりゃ、世の中変わりません。
すみません。

>あなたはここにコメントをつけてくれた人の中でもかなり意識・関心が高い方(悪い意味じゃなく)です。
ありがとうございます。
とても嬉しいです。
でも、このコメントで 「このレベルか」と思わせてしまったらすみせん。

>身を切る覚悟で行動を伴わなければぬるい同意しか生まれない。
そいう意味では、私は自分の職場における改革(子供たちの居場所や集団が是とされる学校環境、いじめなどについて)の方が身を切る覚悟を持って取り組めそうです。
教育職でありながら、そういう面での知識は乏しいですが、学びなおし取り組み方について検討しているところです。
特に現職でありますので、無駄に身を切る(行動に移したことにより目標を達成せず退職する)ことにならないよう、計画的に行動したいと思います。

保育園について、
私はぬるい同意しか生まない能無し。ということになりそうです。
お力になれずすみません。

>「無理のない範囲でいいので痛みを負って人を助けられる子ども」を育てていただければ、と思います。
痛み・・・
先にも述べましたが、私は自己犠牲の精神が好きではありません。
子供たちに「誰かのためにあなたたちが我慢をしなさい」とは伝えたくありません。
でも「誰かのために何かをすることは、あなたの幸福度が上がるという事は、研究により明らかになっている。その何かは自分で選んでいいんだよ」と伝えていきたいとは思っています。
確かに痛みは感じますが、その痛みの先に幸せを感じられるようになったらいいな。と思います。

小鳥遊さんの環境を聞くにつれ、そのような状況においても発信し続け、募金をされ、何より考え続けていらっしゃることが、本当に社会の事を他人の事を思っているんだなぁと感じます。
自己肯定感やウィルパワーが限りなくゼロに近づいた。とのことですが、休める時間(チャージできる時間)が少しでも多くなることを祈っています(というぬるい意見・・・しかもコメントしちゃって時間を奪ってる・・・)
小鳥遊さんは自己分析をされる方とお見受けしますし、本も多く読んでいらっしゃるようですので私が何を言ったところで・・・という感じがします。
でも、小鳥遊さんができないことで私にできることが一つ。
他人(私)から見た、小鳥遊さんの素敵なところのご紹介です。
(こういうのウザイと思ったら読み飛ばしてください)

・まじめ 
(がゆえに返信をしすぎて疲労がたまることもあるかと思いますが)これだけのコメントに真摯に向き合う姿勢は本当にすごいです。
・人を尊重している  
自分とは違う意見に対しても真っ向から否定するのではなく、一度自分の中で吟味されてから発信するのは、さぞかし時間のかかることと思います。
・いいところもちゃんと伝えてくれる  
人(私)は否定ばかりされると先に進みたくなくなりますが、「ここは認める」「ここは謝る」など、意見を汲んでくれると思うと長文でも読みたくなります。
・やさしい  
わかりませんが、たぶん優しい。そんな気がします。
・自己分析ができる  
自分がどういう状態かを把握できる方は自分の機嫌を自分でとれる方だと思っています。自分の状況に合わせ、休養が必要か趣味が必要かなどを判断できることはすごく強みで素敵だなと思います。
・私のことを気に入ってくれた   
単純に嬉しいです。そういう事を声に出して(出してないけど)伝えていただけると私の自己肯定感につながります。ありがとうございます。

私には何もできませんが、多忙な時に自分のいいところを見失いそうになったら思い出していただけると嬉しいです。

>最後に。
あなたのコメントが改行・空白を除いて「3289文字」
僕の返事が「4584文字」。
僕の勝ちです。
今回、お言葉に甘えて「4654文字」打たせていただきました。

幻滅されるかもしれないちょっと嫌な気持ちもありますが、それ以上に言いたいことを言ったというスッキリした気持ちになりました。
ありがとうございました。

小鳥遊 睦月

2020年1月13日 at 4:48 PM

>>ゆうさん

こんにちは。
ご家族の皆様ともどもお元気そうで何よりです。

今日は成人の日。
十数年後にはお子様が主役になるんですね(遠い目)
まだまだ先のことではありますが、十数年後のこの日を、ゆう様ご一家が優しい気持ちで祝えることを影ながらお祈りしております。

では。
今回もザクザク刺しときますか。

>>優しくなったという言葉に少し期待して読みましたが、今回もザクザク刺さりました・・・笑。

十分優しいと思いますよ(笑)。
こうして付き合ってるんで。
具体的に何がどう「優しい」のか、説明が難しいのですが。。
これまでは「自分と違う=何やるのも自由だけど視界に入ってくれるな」だったのが。
今は「自分と違う=僕の邪魔さえしなければどうぞご自由に」になったくらいかな、と。

>>おせっかいが少なくなった要因がご自身にあるのかコメントにあるのかは不明ですが、少なくなることで小鳥遊さんご自身の感情が負の方向ではなく良い方向に進んでいたらいいなぁと他人の目線で思ってしまいました。

お気遣いありがとうございます。
コメント、ではないでしょうね。
全くないとは言いませんが、その影響はごくわずかでしょう。
食の好みくらいなら外からの影響でも変わるでしょうが、人生観レベルの大変革は自信の内省から生まれる、その人の内面のみでおこる化学反応だと考えています。

>>今は改善傾向にあるとのことで、何よりです。
>>ブログ読ませていただきました。またコメントさせていただければと存じます。

ありがとうございます。
最近の数本は優しくなってから(笑)書いたモノですので多少は読み心地もいいかと。
ぜひまたお声を聞かせていただければと思います。

>>自分の意思を自分で決められない人も一定数存在します。

若年層で妊娠出産する子供たちの多くは自己肯定感が低く、それを満たすために誰かに優しくしてもらいたい。という現象がおこります。

なるほど。
たとえは悪いですが、心のすさんだ時に優しくされるとコロッといっちゃうアレですね。

難しいですね。
本当に難しい。

ただ、そうして子どもができても「優しくして欲しい」は決して満たされないし、「優しくして欲しい」は生まれてきた子どもに受け継がれる。

だからこそ強くあって欲しい。

・・・

また微妙なたとえですが。。。
僕は就職氷河期ど真ん中で、20代~30代前半、舌が馬鹿になるほど苦汁をなめつづけてきました。
正直、バブルに踊り狂っていた世代のことは今でも許せません。
頭では「彼らもこんな時代がくることなんて知らなかったのだ」と思ってはいますが、今でも感情がそれを拒絶します。

逆に下の世代に対しては。。
少し前までは「生まれてくる時代が違うだけで大学さえ出ていれば正社員になれる不公平」に対して呪いに近い感情を持っていました。

ただ最近は。
彼らには彼らの苦労があると思えるようになり。
「超高齢化社会」という僕たちよりもっと重い負担を背負わせてしまうことへの申し訳なさが芽生え。

そして何より。
「氷河期の呪いを自分の世代で断ち切り、完全には無理でもクリーンな日本を次の世代に引き継ぎたい」という思いが強くなりました。

このブログと、いくつかの姉妹ブログがいずれも氷河期世代の読者に向けたメッセージを多く発信しているのは、本当に、本当にささやかながら「次の世代に良い日本を手渡す氷河期世代」を一人でも二人でも増やしたいからです。

日本の借金を僕らの世代でゼロにするのは無理ですが、「これだから平成生まれは、令和生まれは」と言われない日本ならつくれるかも知れない。
もう一度日本を技術大国に押し上げるのは無理かも知れないけれど、世界一心の豊かな国にすることならできるかも知れない。

まぁ、心の豊かさに順位なんて付けられないですけど。。

・・・

氷河期世代の次世代への思いと「優しくして欲しい若者」を同列にするのは無理がありますが。。

身勝手な押しつけなのは百も承知ですが。。

これから親になる若い子達には。。

「優しくして欲しい」の渇望、埋められないさみしさ、むなしさを忘れないで欲しいと思います。
そして、その気持ちを親になった自分と、子どもの間でぶつけ合うのがどれだけ悲しいことか、考えてほしいと思います。

僕もつい最近まで「バブル世代の負債をなんで自分が」と思っていましたが、自分が悪いわけでもないのに理不尽な虚無感を押しつけられている子にこそ「優しくして欲しい」を断ち切る強さを持って欲しい、と思います。

何より。
そんな「優しくして欲しい」若い子たちの声に耳を傾け、多少昭和臭い粗野なやり方でも若者の肩をつかんで揺さぶってやれる大人が増えてくれたらな、と思います。

・・・

どうでもいい話ですが。
このブログは基本、氷河期世代の掃きだめのはずなのですが、たまに中学生や高校生からもコメントやLINEが入って、相談にのっているので、僕も少しは「そういう大人」の真似事ができているのかな、と思ったりしています。

>>これは私の子供が1歳のころに感じたことですが、児童館に行くと親子が少ないです。特に若年層とみられる10代の母親や父親を見かけたことがありません。
>>子供が生まれて初めてのことだらけなのは、30代でも10代でも同じですが、特に10代の親は白い目で見られると感じることが多いのではないでしょうか。
>>事実、そういう環境に置かれていると聞いたことがあります。
>>それはまさに「自分たちの意思で子供をつくった」くせに仕事もしていない無責任な親と非難されることを避けるためだと思います。
>>そして、10代に限らずですが、育児の情報を必要としている人たちは、育児情報や支援があることなどを知らずに、どこぞの怪しいネットで調べたりすることになるのだと思います。
>>情報を得る力がない。
>>どこに行けば助けてもらえそうなのかがわからない。
>>病院に言ったら「どうして子供がこんなになるまで放っておいたんだ」と怒られるかもしれない。
>>保健センターがなにかも知らない。健診には行くけど、ジュースを飲ませている事を注意されたからもう行きたくない。

この記事書いたのは、こういう話がしたかったからです。
にもかかわらず、どいつもこいつも

・お前は少子化問題を加速させる危険思想者だ、だの
・欧米では・・・、だの
・今の時代に・・・、だの
・子どももいないくせに黙っていろ、だの
・・・

口を開けば、多数派の威光・権威を笠に着た、形ばっかりのハリボテみたいな言葉ばっかり。

そりゃ、「自分の意思でつくったくせに」と言いたくもなりますわ(苦笑)。

ただ、それでも僕の主張は同じで。
強引なまとめ方かも知れませんが。

①「世間一般の子育て」ではなく「自分の子育て」を精一杯やる
②その上で遠慮なく助けを求める
③問題を前向きに、解決に向けて進め、PDCAを回す

ということに尽きるんじゃないか、と。

もちろん、それで全ての問題が解決するわけではないし、子育て当事者に対してそうではない人たちが一歩も二歩も歩み寄る必要はあると思いますが「求めるのであれば、それだけのことをしてから」って話かな、と。

重ね重ね、「努力ない無きものは死すべし」ではなく、困っている人には当たり前に手が差し伸べられる世の中を最終目標としつつも。。。
それでも、後ろめたさを感じずに助けを求めることや、注意や心ない中傷を受け流す・もしくははねつけるためには、「自分はこれだけのことを考え、やってきた」と思えるだけの最低限の思考と行動は必要なのかな、と思うわけです。

>>また、独り身の人に「自分の意思で結婚したのに」と言われたら「自分の意思で独り身でいるんですよね」とも思います。

自分の仕事を独身社員や結婚していても子どものいない社員に押しつけ「子どもがいなくていいですね。」とのたまう人の話はよく聞きますが。

【自分の意思で】独り身でいる人が、既婚者や子どものいる人を不条理に羨んだり、責めているのを僕は見たことがありません。

もしゆうさんの周囲にそんな輩がいるのであれば、ぜひその事例をご紹介ください。

>>さぁ、ここから小鳥遊さんに幻滅されそうなターンになってきました。
>>あー書きたくない。

・・・そんな、ゴキブリみたいに嫌わなくても。。。

「身を切る」みたいなパワーのある言葉を使ったから、圧迫しちゃいましたかね。
それでしたら申し訳ないです。

感謝してるなら保育士さんへの追加料金の支払うべきだ、とか。
募金するべきだ、とか。
親同士で話し合って子どもを預ける日数が減るようにするべきだ、とか。
言いたいことがあれば実名顔出しで発言するべきだ、とか。
・・・

そんなことはさらさら考えていません。
単に、「行動する」ことには想像より大きなエネルギーが必要であり、世の大半の人が動かない、進まないのはむしろ当然のことだ、ということが言いたかっただけです。

>>主人は募金ですら嫌がり文句を言うのにそんなことをしたら家庭内がぎすぎすします。
>>やっとなんとか好転してきているのに家庭内をギスギスさせて子供に負担をかけてまでやりたいとは思いません。

>>理由は自分でもよくわかりませんが、主人がイライラして私に対して暴言を吐くのが嫌だからなのかもしれません。
>>たぶん、離婚したら募金をするようになると思います。

余計なお世話かとは思いますが。。
ちょっと心配です。
夫婦関係・家庭の空気が良くなるようお祈りしております。

>>幻滅しますか?

しません。

>>私は、自分の行動すべてが自分のためです。
>>『善』の定義はよくわかりませんが、私の行動で『善』と映るものすべては私にとって『偽善』です。
>>私は自己犠牲の精神が好きではありません。私が睡眠を削って子供を育てているのは子供のためではなく、子供が健やかに幸せに育ってくれたら私が嬉しいからです。
>>ジュースを買うのをやめるのは飲みたい自分を犠牲にするのではなく、募金をする方が私の幸福度が上がるからです。

とても僕好みの考え方です。
僕だって全部自分のためですよ。

募金するのは、子どもや動物や自然が好きだから。
モノやサービスを勧めて紹介料の入る記事を書けばいいのに、1円にもならない記事書いたり、コメントに返事書くのは「悪い反応ですら無いより嬉しいから」です。

>>そういう意味では、私は自分の職場における改革(子供たちの居場所や集団が是とされる学校環境、いじめなどについて)の方が身を切る覚悟を持って取り組めそうです。
>>教育職でありながら、そういう面での知識は乏しいですが、学びなおし取り組み方について検討しているところです。

興味深い話ですね。
身バレのリスクがない範囲で結構ですので、またいろいろ教えて下さい。

>>痛み・・・
>>先にも述べましたが、私は自己犠牲の精神が好きではありません。
>>子供たちに「誰かのためにあなたたちが我慢をしなさい」とは伝えたくありません。
>>でも「誰かのために何かをすることは、あなたの幸福度が上がるという事は、研究により明らかになっている。その何かは自分で選んでいいんだよ」と伝えていきたいとは思っています。

とても良いと思います。
誰だって(僕も含めて)見ず知らずの、何の魅力もない人やモノのためには頑張れません。

僕が子ども好きなのは、僕と道で会うとニッコリ笑いながら頭を下げてくれる近所の子どもがかわいいからです。
この子たちの未来が明るいモノであってほしい、とただそれだけの話です。

動物や自然が好きなのだって同様。

少年法はいらないと思っているし、十年ちょっと預けとけば倍になるほど金利の高かった時代に生まれたどこの誰とも知れないジジイ・ババアに年金を払うのは意味が分からない、とも思っています。
払った人がもらえる任意保険としての年金はアリだと思いますが、面倒見てもらいたかったら、子どもや孫に慕われる生き方をしろ、と。
某クリニックの院長先生は「今の老人が頑張ったから今の豊かな日本があるのだ。若者は老人に感謝しろ」的なことをいう御仁がいますが、感謝は強要するモノではなく相手からされるものだ、と思うのです。
強要しないと感謝されないということは、その人はその程度の器だ、ということなのです。

幻滅しました?

>>確かに痛みは感じますが、その痛みの先に幸せを感じられるようになったらいいな。と思います。

今回のコメントで一番好きなのがここですね。

上述した通り、どこの誰ともわからないアレのために身を切る必要なんてありません。
心の出血多量で失血死するほど身を切る必要もない。

椎名林檎が「幸福論」で歌っているとおり
本当に好きな人や物のためにこそ、情熱を傾けるのは幸せなことです。
逆に言えば、身を切ってもいいと思えるほど好きな人がいて、好きなモノがある。
そんな人になりたいし、そんな子どもが育つ日本、というか世の中であってほしい。
そして自分の子どもにそう教えることはできなくても、何らかの形でそういう愛とかときめきのある世の中を作ることに貢献できたら、と思います。

>>小鳥遊さんの環境を聞くにつれ、そのような状況においても発信し続け、募金をされ、何より考え続けていらっしゃることが、本当に社会の事を他人の事を思っているんだなぁと感じます。

ご存じの通り、その「環境」のせいで収入が激減しており、毎月数万とか昔ほど羽振りのいい募金はできていません。
たまに余裕のあるときに、ほんの少し、です。

募金・寄附の額で人間の格が決まるわけではありませんが、謙遜でも何でもなく、僕はそんなたいそうな人間ではありません。

>>・・・しかもコメントしちゃって時間を奪ってる・・・)

上述した通り、コメントの内容ではなく「コメントがあった=人とつながれた、反応があった」ことがうれしいので、どうぞお気になさらず。

>>小鳥遊さんは自己分析をされる方とお見受けしますし、本も多く読んでいらっしゃるようですので

ツイキャスのライブ配信とかでたまにいっていますが、難読症なので本はあまり読めていません。
人の十倍くらいの時間かかるし、内容も右から左に抜けてしまいます。
ブログ記事書いたり、メールやコメントの返事など、文字を読むことそのものが苦手です。
たまにかみ合わないことがあるかも知れませんが、そんなときは根気強く「ここ、答えてもらってない」とか「そうじゃない」とか言ってもらえるとありがたいです。

>>私が何を言ったところで・・・という感じがします。

上述の通り、僕に伝わっていないだけの可能性もあります。
納得いかないのでしたら(時間があって、ゆうさんのウィルパワーの続くのであれば)追求してみて下さい。

>>他人(私)から見た、小鳥遊さんの素敵なところのご紹介です。
>>(こういうのウザイと思ったら読み飛ばしてください)

とても嬉しいですよ。
ありがとうございます。

真面目じゃないし、自己分析も必要なときしかしないですが。

こういうのって、より相手に「あなたのことを見ています」が伝われば、内容なんてどうでもよく嬉しいですよね。

十二分にご承知かと思いますが、ご主人様、お子様、親戚の方々、職場の皆様、教え子たち・・・

負担にならない程度で結構ですので、見てあげて、それを伝えてあげてください。

あなたには人を見る才能と、それを言葉にして伝える才能があります。
ぜひその才能を世のために使って下さい。

>>幻滅されるかもしれないちょっと嫌な気持ちもありますが、それ以上に言いたいことを言ったというスッキリした気持ちになりました。

「幻が滅びる」と書いて「幻滅」
どこまで個人情報、人間性・・・どこまで開示するかはそれぞれの自由だし、開示されたからといってどこまで理解できるかは相手次第・運次第のところがありますが・・・

幻や思い込み、美化ではなく、等身大、というか人間味の部分でお付き合いができれば、と思います。

・・・

今回のまとめというか、全体を通しての反省としては。

募金している、とか
個人情報をネット上にさらしている、とか
・・・
いわゆる「身を切る」=正義、身を切らない親は悪だ、みたいな伝わり方になってしまったことでしょうか。

確かに現代社会の子育て問題は、身を切る痛みまったくなしで解決するのは無理なステージまで進んではしまったけれど、その痛みを親や子育てに直接関係する保育現場だけが負担するという話ではありません。

負わなくていい痛みもあるかも知れないし、全員で分ければもっと軽くなるかも知れない。
お金や具体的な活動ではなくても、もう少しだけ優しい言葉が増え、笑顔が増えるだけで頑張れる親が増えるかも知れない。

ただ、そんな整理や前向きな話し合いをするにも、上述の通り

自分が思考・行動をしていない後ろめたさを

「今の時代はこうだ」とか
「世界はこうだ」とか
「女性の活躍がどうこう」とか
・・・

借り物の言葉や論理でごまかす人たちが多すぎて、真面目に頑張っている人の足を引っ張っているのが現状、と思う次第です。

>>今回、お言葉に甘えて「4654文字」打たせていただきました。

ここまで引用部分、改行、空白をのぞいて4948文字です。
・・・
自分から始めといてなんですが(苦笑)。
大丈夫だとは思いますが。
内容より文字数が目的になってはアレなので、文字数の申告はやめましょうか(笑)。
もちろん、お望みでしたら2万文字くらいまでやり合う準備はありますけど。

では。

2020年1月4日 at 11:53 AM

1年半前のコメントに返信をしています。
2017年12月11日 3:22 PM に投稿したゆうです。
15ページです。

小鳥遊さん。丁寧な返信をありがとうございました。

その後2児の母になりました。

この2年の間に私は考えが変わりました。そして、このブログへも何回か戻ってきました。そういった意味で、小鳥遊さんの意図している

>クソぬるい同意1億より、実際に子育てをされている方が「お前なんかに何がわかる」と悪意・嫌悪感をぶつけてきて発奮してくれたり、100人に1人か2人だけでも本気で心から同意してくれる人が出てきてくれたり、ほとんどが言いたいこと言ってどっかいってしまう中、一人でも二人でも2回・3回・・・と議論のキャッチボールをしてくれる。。
今までと同じやり方で導き出されるのは同じ結果。
別の結果を出すには別のやり方をするしかないのです。

の効果はてきめんだったのだと思います。

小鳥遊さんのお考えは今もなお変わらずでしょうか。

今の私の考えは、
そもそも育児を「家族」のみで行う日本の在り方は時代の流れを考えると変えていくことが望ましいのではないか。に変わりました。

「他人(保育士)に預ける事が不安にならないのか」というご意見に対して、
他人であっても保育士は大きくくくって家族。くらいの感じになったらいいな。と思います。
自分の親に子供を預けるときに安心しているように
そもそも日本は高度成長期前までは2世帯3世帯家族でしたし、子育ては専業主婦であっても核家族である家庭が全て責任を持って行わなけれはいけないというのは、両親への負担過多だと思うようになりました。子育てが大変すぎて自分の親のことが「超人かな」と思うことさえあります。

保育園に預ける事が後ろめたいと思わない社会になってほしいし、子供と一緒にいたい人がその後、自分のやりたい仕事に戻れる社会になったら本当に素敵だと思います。

意図することをご記入いただいたので返事をしてみました。

>1.なんの考えもなしに子供をつくる・預ける親への不満、警告を伝えたい

彼らの家庭環境や教育の環境がそうさせるところは多分にあるかと思います。性教育を含め、それは社会全体が考えていくべき課題で、おそらく小鳥遊さんの伝えたい親へは伝わらないのではないかと思います。
何よりもまず、誰かから愛されて育っているという自己肯定感が必要で、
『何かを考える余裕がなく』子供をつくることに繋がっている可能性を考え、あらゆる人の関わりが必要かと思います。
その上で、学校教育を通して「考えなしに子供を授かることで起こりうるデメリット(悲劇を含め)」を伝えていく事が新たな被害(虐待等を想定しています)を防ぐ一因になることを期待しています。

考えもなしに預ける。
というのは
『働かなくては暮らしていけない人の席を奪っていることに考え及ばないのは非人道的だ』
という解釈でよろしいでしょうか。

>2.「子供がいない40代男性」が子供を預けて共働きする親に思うことを知ってほしい

ありがとうございました。
大変参考になりました。
40代男性代表ではなく、小鳥遊さんだからのご意見かと思いますし、小鳥遊さんだから意見交換ができているのかと思うと、それもありがたいです。

>3.将来の資産づくり=共働きではないことを知ってほしい

その通りですね。
今得ている収入を断って子育てをされている方を見ると素敵だな。と思います。
でも、子供たちに金銭的な影響で選択できる範囲を狭くしたくない。と考える方もまた素敵だな。と思います。

>4.共働き=正義 専業主婦=悪 の図式への抗議をしたい

そのような図式の知り合いがおりません。
むしろ父母のどちらかが働かずして子に寄り添い育てることができるなんて、なんてうらやましい・・もとい、素敵なご家庭だろうか。と思っています。
でもきっと小鳥遊さんのお近くには多くいらっしゃるのですね。
そのような考えの方が、なぜそう思うに至ったのかを聞いてみたいです。

>5.子供いる=正義 それ以外は悪 の図式に抗議したい

私は教育職についていますが、独身の頃に「あなたには子供がいないでしょ?」と保護者に言われたことがあります。その時は「子供がいることがそんなに偉いか。子供がいなくても、私はあなたの子供が幸せになればいいと心から思っている」と思っていました。これは今でも変わりませんし、ごく一部の方よりは今でも私の方が幸せを願っていると思います。
でも、実際子供を産んで感じたことは、「あなたには子供がいないでしょ?」は別に「私の方が偉いのよ」ではなく、子供がいない(自分の時間もお金も自由に使える)時は感じなかったあらゆるストレスを感じている状態で正論を言われて詰められたところで、そんな正常な判断ができる状況にはないんだから、こっちの状況も考えて発言してよ」という感じなのかなと思う次第です。
例えば人は眠らないと正常な判断ができませんが、日々睡眠不足の父母に対して、「子供をどなるなんて虐待だ!」と言ったところで(それが正論であっても)「そんなことはわかっている!私を攻撃したいだけで発言するなら黙ってろ!余計にいらいらして虐待をしてしまいそうだ!」という感じになるので、「どなるのは良くないから、どうやって睡眠時間や自由時間を確保できるか一緒に考えよう」と言われたい。みたいな感じです。
それは、子供がいる、いないではない気もしますが・・・。要するに子供がいる人の状況を想像してほしい。というところです。
子供がいない人に想像させるなんて横暴だ。とおっしゃられるのでしたら、それはその通りかもしれません。

>6.なんでもかんでも国と企業のせいにするのではなく、自分たちでできることを考え、一人でも行動する親であってほしい

善処します。
私は教育者ですので、教育をもって子供たちが自ら考えられるように伝えていきたいと思います。
それこそ、小鳥遊さんのような子供たちが育つと、意見交換が活発に行われて素敵ですね。

>7.子供がいない、結婚をしていない人にも、世の中を良くするアクションを起こしてほしい

ありがたいです。

>8.保育園で働く人達に対してなにか声をかけてあげたい

預けている私も本当に毎日そう思っています。
子供が好きで、大切にしてくださっていて、本当にありがたいかぎりです。
保育園無償化にしなくていいので更に保育料をあげてもいいので保育士さんの賃金を上げてほしいし、スタッフを増やして休憩時間の確保、休暇の確保をしてほしいと思っています。
これは、私が話をする大人(子あり・なしにかかわらず)はみんなそう言います。

>「預ける」という選択を「自分たちで」しておいてあれだけ人を罵るのであれば。
同じように不慮の事故が起こってしまうのであれば、自分の手元において育てていたほうがまだ後悔は少なかったのではないか、と思った次第です。

ごもっともです。
でも『預ける保護者は少ないが、「国が変わってくれたらいいのに」と声高に訴える』というのは、小鳥遊さんのおっしゃる「ぬるい同意が1億」になりはしないでしょうか。
現状困っているからこそ、近々になんとかしないと。と思うのではと考えます。
保育士への待遇の面でも同じです。
なり手が少ない。でも困っていない(そんなに保育士が必要でない)状況よりも、なり手が少ない。でも需要は大きい。という方が給与の増額や勤務状況の見直しなどがされると思うのです。ちなみにフィンランドでは保育士によるボイコットなどがあるそうです。

もちろん、増設による増設で保育の質が問われていることは問題だと思っていますし、子供の命を危険にさらすわけにはいけないと思っています。でも、人の命については誰もが「親であっても、隣の人であっても」最も大切にしなければならないのではないでしょうか。

自分自身に何ができるか。ということですが、
私は教育者ですので、関わる子供たちが自分の人生を考えながら生きていけるようにすることが微力な私に今できる唯一で最大の関わりかと思っています。

自分でも引くほどの長文になってしまいすみませんでした。

 

    小鳥遊 睦月

    2020年1月5日 at 1:36 PM

    >> ゆうさん

    新年、あけましておめでとうございます。
    お久しぶりです。
    お元気にされていましたでしょうか。

    その後、またお子様をもうけられたようで、おめでとうございます。
    ゆうさん、ご家族様、お子様にとって令和が優しい時代になるよう、心から願っています。

    >>小鳥遊さんのお考えは今もなお変わらずでしょうか。

    コアの部分は変わっていないと思いますが。
    少しだけ優しくなったかもしれません。
    それと同時に、無関係な人に対しておせっかいを焼くことが少なくなりました。
    その変化は、とてもわずかに、少しずつ、穏やかに訪れているので、正直自分でも「どことどこが変わった」と対比表を作れません。
    読者の皆様には、僕の今後の発言からそういった変化を感じとっていただき、そのうえで「言っていることが違う、謝罪しろ」と思うのであれば声を上げていただければ、と思う次第です。

    >>
    そもそも育児を「家族」のみで行う日本の在り方は時代の流れを考えると変えていくことが望ましいのではないか。に変わりました。

    保育園に預ける事が後ろめたいと思わない社会になってほしいし、子供と一緒にいたい人がその後、自分のやりたい仕事に戻れる社会になったら本当に素敵だと思います。

    おっしゃる通りだと思います。
    もっと言えば、家族だけで行うべきだ、とか、社会全体で・・・と一方に偏るのではなく、1家族1家族が自分の意思で選んだ子育てが尊重されて、それがうまくいかなくなったときに救いの手が差し伸べられる世の中だといいな、と思います。
    「べき」という言葉がもう少し減ると、平和になるのかな、と。

    >>何よりもまず、誰かから愛されて育っているという自己肯定感が必要で、『何かを考える余裕がなく』子供をつくることに繋がっている可能性を考え、あらゆる人の関わりが必要かと思います。

    妻がうつ病になってから、彼女自身はもちろん、僕からも「自己肯定感」がドンドンなくなっていった時期があって、人間ここまで荒めるのか、と思うほど荒みました。
    「自己肯定感」、子育てに限らず、人があらゆる困難に立ち向かうとき必ず必要な要素ですね。
    自己肯定感やメンタルのコントロールについては今一番力を入れて取り組んでいることでして、このブログで久しぶりに更新した記事も自己肯定感をテーマにしています。
    また、気づいたこと、勉強したこと、身に付いたこと等あればブログを通してシェアできれば、と考えております。

    >>考えもなしに預ける。
    というのは
    『働かなくては暮らしていけない人の席を奪っていることに考え及ばないのは非人道的だ』
    という解釈でよろしいでしょうか。

    ほかの親子のこと、会社のこと、近隣のこと、自分が住んでいる地域のこと、自分の家のこと、自分自身のこと・・・
    お金のこと、キャリアのこと、気持ちのこと・・・
    ・・・
    「預けた場合」に起こるすべてのことと、「預けない」場合に起こるすべてのこと。
    だと思います。
    もちろんそんなことをすべて網羅するのは不可能です。
    後悔のない決断なんてできるわけありません。
    だからこそ考えるんです。
    だけど、ベストを求めるつもりでなければ、ベターすらつかめないと思います。

    >>でも、実際子供を産んで感じたことは、「あなたには子供がいないでしょ?」は別に「私の方が偉いのよ」ではなく・・・

    本心がどう、ではなく「何を言ったか」ではないでしょうか?
    「あなたには子供がいないでしょ?」は、どんな理由であれ、言わなくていい、というか言ってはいけない言葉だと思います。
    愚痴やストレス発散であれば、子どもがいる人同士でやってください。
    とても、とても不快です。

    >>それは、子供がいる、いないではない気もしますが・・・。要するに子供がいる人の状況を想像してほしい。というところです。
    子供がいない人に想像させるなんて横暴だ。とおっしゃられるのでしたら、それはその通りかもしれません。

    それであれば、子どもがいる人にも、子どもがいない人の状況を想像してほしいです。
    独身の頃に抱いた苛立ちはどこへいってしまったんですか?
    「子どものいる側が先に仕掛けてきた」などというつもりはありませんが・・・この記事だってさんざん「子どもいないでしょ?」「子どもいなくていいなぁ」を投げつけられた僕からのささやかな復讐によって生まれたものです。
    (もちろん言ってきた輩は全員縁を切りました)
    子どもは、少なくとも今の日本では(レイプなど一部を除けば)自分の意思でつくれますが、子供のいない人生は(少しは変わってきましたが)たいていの場合自分の意思ではありません。
    「自分たちの意思で子どもをつくったのに・・・」は「あなたには子供がいないでしょ?」がなくならない限り、決してなくなることはありませんよ。

    >>『預ける保護者は少ないが、「国が変わってくれたらいいのに」と声高に訴える』というのは、小鳥遊さんのおっしゃる「ぬるい同意が1億」になりはしないでしょうか。

    うーん、そうですねぇ。
    確かに、保育士が足りなく、預けたい親が増えれば、「何とかしないといけない度」は上がると思いますが、現状問題が動かないのはもっと別のところに原因があるのでは、と思ったりもしています。

    そのポイントが「ぬるい合意」。

    アングラな掲示板やTwitterや酒の席で愚痴るのと、身分を明かし批判覚悟で声を上げ、何らかの行動をするのは全く違いますね。
    前者だったらぬるい同意ですが、後者であればまったくの別物です。

    前者は頻繁に行われていますが、後者はほとんど行われていません。
    そして、ぬるい合意は現状維持(という名の衰退)ですから前には進みません。

    親たちは保育園が足りなくて困っているし、会社は人手不足で困っているし、保育士さんは過酷な労働で困っているのに、なぜ「ぬるい同意」しか行われないのか?

    あなたを責めるつもりはありませんので気を悪くしないでほしいのですが、つけていただいたコメントに日本の保育環境が変わらない根本原因になるキーワードがあったので、引用したうえであえて問います。

    なぜあなたやあなたのお知り合いは『保育園無償化にしなくていいので更に保育料をあげてもいいので保育士さんの賃金を上げてほしい』と言っているのに個人でお礼として割増料金を払わないのでしょうか?賃金が上がれば保育士さんは増えるし、儲かることがわかれば民間企業の参入が増え保育園も増えるのに。。。

    『スタッフを増やして休憩時間の確保、休暇の確保をしてほしいと思っています。』と言っているのになぜ子供を預けるのでしょうか?親同士で話し合って預ける人数や日数を減らせば、保育士さんたちは休みを確保できるのに。。。

    なぜ・・・街頭演説まではしないまでも・・・この記事へのコメントではなく、この記事のように自分のブログで名前と顔を出して自説を語らないのでしょうか?
    名もなきネット民ではなく、血の通った人間の声の方が、ほんの少しでも子供を取り巻く環境をよくする可能性は上がるでしょうに。。。

    ・・・
    たいていの人は『自分が傷つかないためなら人が傷ついてもかまわないから』です。

    ・・・
    保育士さんたちはかわいそうだけど、自分が痛みを負わなくても、自分の子どもはあずかってもらえる。
    保育士さんたちに苦労はかけるかもしれないけれど、共働きで老後に備えなきゃいけない
    保育士さんたちにも人生はあるだろうけれど、一度退職してしまうと仕事に戻れないし、親だって人間なのだから少しくらい息を抜きたい・・・
    預けられなかった人たちはかわいそうだけれど、他の人がやっていないんだから自分だけやるのは馬鹿らしい・・・

    そりゃ、世の中変わりません。

    あなたはここにコメントをつけてくれた人の中でもかなり意識・関心が高い方(悪い意味じゃなく)です。
    なれなれしくて申し訳ありませんが、意見や立場の違いうんぬん抜きに気に入っています。
    でなきゃここまで付き合いません(笑)
    そんなあなたでも、自分の身を切ることはほとんどしていません。
    (書いていないだけでしているとか、僕が見落としているだけだったらご指摘ください)
    そりゃ、ほとんどの親は何もやりません。

    改めて断っておきますが、個人を攻撃するつもりはありません。
    世のたいていの親は同じことを思っています。
    僕だって、やろうと思えばもっといろいろなことができるでしょうが、そこまで至っていません。
    それが悪いとも思いません。
    だって人間ですから。

    ・・・かなり長くなりましたが、このセクションの結論が見えました(笑)。

    民主主義では、過半数をとらなければ世の中は動きません。
    そして、「預けられない人」や「保育士さん」が過半数以上をとることはあり得ません。
    ということは(全く効果がないとはいいませんが)多少保育士の需要が増えたところで、世の中は変わりません。

    自分で身を切る親や、子どもがいなくても子育て問題に首を突っ込む人間が増え、「自分の身を切る痛み」をもって選挙にのぞんだり、個々人が声を上げるほうが世の中は動く、というのが僕の考えです。

    壮大に話がそれましたが。。。
    まとめなおすと。
    安全圏から声を上げるだけなら誰でもできるけれど、身を切る覚悟で行動を伴わなければぬるい同意しか生まれない。
    ということです。

    >>自分自身に何ができるか。ということですが、私は教育者ですので、関わる子供たちが自分の人生を考えながら生きていけるようにすることが微力な私に今できる唯一で最大の関わりかと思っています。

    素晴らしいことだと思います。
    そのうえで一つリクエストをさせていただけるとすれば
    「無理のない範囲でいいので痛みを負って人を助けられる子ども」を育てていただければ、と思います。

    もちろん、痛みなんて負わない世の中のほうがいいに決まっています。
    だけど、今は誰も傷つかず、みんな笑顔で幸せ、なんてネバーランドはありません。
    だったら、一人を激痛で悶えさせ、その恨みによる足の引っ張り合いを放置するより、公平にシェアしたほうが効率的です。

    あとは、まぁ、わかっていただいているかとは思いますが。。
    僕のできることとしては・・・

    正しい記事を書くことより(もちろん大切だとは思いますけど)。
    子どもいなくても子育て論に参加して。
    損得関係とは関係のない立場から、自分が言いたいこと、言うべきこと、正しいと思うことを自由に発言して。
    少しばかり身銭を切って募金をする。
    ・・・

    そんなお人よしが世の中一人くらいいるんだぞ、って姿を見せ続けることかな、と思っています。

    この記事書いてから、僕とその周辺の環境はいろいろ変わりました。
    仕事の環境がいろいろ変わったり。
    夜勤がなくなって本業の月収が手取りで18万円になってしまったり。
    妻がうつ病になってしまったり。
    僕も自己肯定感やウィルパワーが限りなくゼロに近づいてしまったり。
    世の中のネット環境の変化でブログで収益を上げにくくなってしまったりで。

    記事の更新は落ちたし、募金もできるときにしかできていなかったりしますけど。

    年も明けましたし、また少しずつ歩いて行けたら、と思っています。

    >>自分でも引くほどの長文になってしまいすみませんでした。

    最後に。
    あなたのコメントが改行・空白を除いて「3289文字」
    僕の返事が「4584文字」。

    僕の勝ちです。
    再挑戦、いつでもお待ちしています。

    では。