どうも。
長めの自己紹介です。
実はわたくし、体に障害のある、車椅子ユーザーです。
それを踏まえて、暖かい目で読んで頂けると幸いです。
●幼少期、施設入所のきっかけ
脳性まひになったことによって、生まれて数ヶ月後から、
月に二度とリハビリに通っていました。
リハビリは非常に辛く、痛かったです。
しかし、自分の体が少しでも動くようになる為にと、頑張っていました。
保育園を卒園するまでは家族と一緒に暮らしていましたが、
小学校入学を機に、親や医師から毎日リハビリを受けた方がい
いから、施設に入りなさいと言われます。
僕は嫌でした。
家族と離れたくない、姉と同じ学校に行きたいこともあり、地元の小学校に行くことを希望しました。
しかし、親が何回も施設に行きなさいと何度も言ってきました。
言い返す事ができず、拒否権なんてないんだと思ったので気持ちを押し殺して、施設に入りました。
結果的に、早く親離れ出来たことで自立心が芽生え、自分がしっかりしました。
ある意味突き放されたことで、自分でなんとかしようと思うクセが付いたのは、このおかげかもしれません。
●学生時代、何もできなかった子供のころ
その後、高校を卒業するまでの12年間、併設の特別支援学校に通いながら施設にいました。
親からもすごく勧められたし、施設っていいところなんだろうなと思ったのですが、生活していくうちに、規則と人に動かされていることに気づきます。
朝起きる時間、寝る時間、ご飯の時間、外出禁止
など、色々人の都合による制限があります。
とうしても外出をしたくて、脱走をしようとしましたが、規則に歯向かうと介助してもらえません。
なので、人の顔色を伺ようになり、人に合わせるから自分をなくしていきました。
当時の自分に、人として生きる力はありませんでした。
なぜなら、人に従い良い子にしていて当たり前だと思っていたからです。
ただ、人の顔色を伺うことが与えてくれたことがあるとすれば、
空気を読んで、人に喜んでもらえる付き合いが、できるようになったことです。
●自立を目指したきっかけ
春、夏、冬の休み。
実家に帰って過ごしていた時のことです。
ある時、親から施設を出たらどうするんだと聞かれました。
答えに悩んでいると親が、
先に死ぬのはお父さんお母さんなんやから、
お前ひとりで生きていけるようにせなあかんと言われました。
この言葉から、
家族死んだら誰も面倒見てくれへん、ヤバイ!と思い、自立というのをはっきり意識しました。
もう一つ、兄弟との話しの中で思ったことがあります。
兄弟は、親に買ってもらったゲームやおもちゃ、友達と遊んだ内容など教えてくれました。
そこで、自分の日常との違いに気づきました。
施設にいる僕は、ゲームもおもちゃもない、友達もいない。
でも兄弟にはそれらがある。
そんな違いと、羨ましい気分を感じました。
その気づきがきっかけで、施設を出てみんなと同じような生活がしたいと思いました。
●応援してくれる先生
高校にあがったタイミングで、自立を応援するよ!って言ってくれる先生に出会います。
僕は、施設を出てとにかく自由になりたいんだって話しました
そしたら「今はできないことでも経験積んだら出来るようになるよ!」って言ってくれました。
その言葉もあり初めて、一人でバスに乗り、お店に行き、ご飯を食べてきました。
すべてが初体験でした。
知らない人に声をかけるとかいうことも初めてで、すごく緊張したのを覚えてます。人見知りが酷すぎて、ものすごく小さい声で、ただただ通り過ぎていく人たちに声をかけていました。
全く立ち止まってもらえませんでした。
しかし、先生からのアドバイスがあって、声をかけたい人の前まで行って、
話しかけるようにしました。
初めは無経験だから難しかったが、先生のおかげで、知らない人との会話や外出がどんどん出来るようになっていきました。
先生は、このきっかけを与えてくれただけでなく、授業中で卒業後の生活に必要なことなどを教えてくれたり、さらなる自信をつけさせてくれ、自立生活への一歩を踏み出すことができました。
また、進路先のAJUのことも先生に教えてもらって、自立への道筋を立ててもらいました。
●自己選択・自己決定
僕はAJUに入りました。
ここに入ってきて良かったことは、今までいた施設のような規則はないこと、また自己選択と自己決定ができることです。
好きなものが食べれる、好きな時間に寝れる、起きれる、そして、今までほとんどしたことがなかった外出が自由にできる。
初めて僕が選択権、決定権を手に入れました。
自分で組み立てるようになって、劇的に環境が変わりました。
●初めてできた友達
さらに、いいことが起こります!
隣に住んでた人と、サッカーゲームをやることになったんです。
そのおかげで苦手なコミュニケーションがすごく弾みます。
ヘルパーさんがいて、介助してくれることによって普段できることも外出した時の行動範囲も広がって行きます。
AJUに入る前の施設生活では、勝手に料理が出てきて食べていました。
だから料理なんてしたことがなかったのです。
でも選んだレシピを見て、ヘルパーさんに話し料理してもらった事がきっかけで、少しずつ自分で食べるものを選び、自炊するようになりました。
また朝までカラオケ行ったりなど、夜更しもしたりしました。
環境が変わり、新たな出会いのおかげで、こんなに色々なことができる自分がいたんだって感じることができました。
●現在の暮らし①
ヘルパーさんのお手伝いがあるおかげで、僕のやりたい生活が実現できています。
ベッドから起こしてもらったり、食事を食べさせてもらったり、日常生活のいろんな場面でヘルパーさんの力が必要です。
普段からコミュニケーションを取りながら楽しく生活しています。
●現在の暮らし②
普段はこうやって人前で話をしたり、資格講座の講師として働いていますが、空いている時間には、野球を観に行くのが好きです。
野球が好きになったのは、施設にいるころ自由時間に僕を仲間に入れてくれて、野球っぽいことをしたのがきっかけです。
それがすごい楽しかったのです。
施設を出たら野球を観に行こうと思い観に行きました。
実際に見に行ったら、テレビで見てた選手が目の前で野球をやってることにまず感動しました。
迫力と臨場感がすごいんです。
この感動があったから、こんな気持ちになったのかもしれません。
●夢
もっと楽しい人生を、送りたい!
もっといろんな人と関わりたい!て思うわけですよ。
ここで、普段のお仕事について少しお話をします。
皆さんの前でお話をさせて頂くのが、仕事です。
簡単に言えば障害者って考えてること皆さんと変わらないということ。
僕たちと関わったことがない人が知らないこと、
気づかないことをお伝えするのが自分の仕事です。
僕には、皆さんとは違う体の状況がありますが、皆さんと同じように、
夢を持っています。
趣味で音楽をやっているので、将来、自分で作った曲を使って障害があってもなくても楽しめる場所を作りたいと思ってます!
音楽を使って自分を表現し、いいなぁと感じて頂けたら嬉しいので、そこを目指してます。
それが夢です。
僕がこれをする事で、障害の有無関係なく、皆さんに少しでも勇気を与えられると信じています。
「あいつでもできるんだ」と思っていただく事で、皆さんが、やりたい事を始めるきっかけになれればと思っています。
●まとめ
昔は自己主張出来なくて、施設に入って、辛い思いをしました。
現在は自立し、仕事をしながら、やりたい生活をしてます。
やりたいことの先に、みんなが楽しめる空間を作るという目標があります。
自分に正直に、かつイライラせず柔軟にやって行こうと思います。