こんばんは

shachiですニコニコ

 

東日本大震災から13年。


3.11には必ず、子どもと当時のことを話します。

私の住む関東でも、大きな揺れでした。
余震がある中、普通に下校し、家の中にいるのが怖くて、庭でサッカーのリフティングをしていた小2の息子。
友達のママが迎えに来てくれて、家に連れて行ってもらえた。
話を聞くだけで情景がわかり、心細い息子の気持ちに、未だに涙が出ます。

息子とは時間差で帰宅した小5の娘も、友達の家に連れて行ってもらった。

職場で、それぞれのママから電話をもらい、安心したと同時に感謝しかありませんでした。
 
その後は、平日の夕方に職場からスーパーに寄ると、肉や魚がない日が続き、同僚が食品を買って持ってきてくれたり、
計画停電で懐中電灯用の電池が売り切れていて、当時、車がなかった私の代わりに、弟が遠くのホームセンターまで買いに行ってくれたり。

みんなに助けてもらいました。

毎年、この日は
シングルマザーとして一人で幼い子どもたちの命を守らなければならないプレッシャーと、心細かっただろう、子供たちのことを思うと胸がキューッとなります。

同時に、助けてくれた人たちが周りにいることへの感謝で、暖かい気持ちにもなります。

2015年9月
職場の研修で南三陸を訪れました。 


現地で、被災したままの風景や復興途上の場所などを目にし、また被災体験を伝えてくださる、語り部ボランティアさんの話を聞き、とても苦しかった。
福祉の現場にいる私たちに、
「目の前に利用者さんがいても、まずは自分の命を守ってください。自分の命がなければ、利用者さんの命を守れるはずがないのです。」と語り部ボランティアさんはおっしゃいました。

避難を呼び掛け続けた役場の職員さん。
高齢者を助けようとした消防士さん。

重い重い言葉です。

果たして目の前にいる、利用者さんを置いて逃げることなんてできるのだろうか。

反面、私は子どもたちにとっては、たった一人の母親。
当時は、幼い子どもたちを置いて逝くことはできない、とも考えました。

でも、今は…
娘は自立した。
息子もあと一年で大学を卒業して自立する(だろうニヤリ)。

私の力がなくても、
自分の人生を歩みはじめた子どもたち。
私は、目の前に利用者さんがいたら、
どんな判断をするのか。

でも、もし子どもたちが、そのような場面に遭遇したら。
語り部ボランティアさんと同じ言葉を、子どもたちには強く言うだろう。

3.11には色々なことを考えます。