ナースレジェンド(5) | 酒とアニメの日々(鯱雄のオフィシャルブログ)

「そうじゃな、たしかにこの料理にはクミちゃんの優しさが詰まっておりますな」
「うむ、なかなか美味しかったぞ」
「料理の天才・・・」
 しかし、3人の発言を聞いたリーゼロッテがさらに興奮する。
「ちょっとちょっとちょっと!!皆さん、おかしいですわ!!」
 それを止めたのはマユミだ。
「待って、リーゼロッテさん。タチバナ先生はどんな事情でも勝負ごとで不正をするような人ではないわ。
だからタチバナ先生が美味しいといったら、それは間違いなく美味しいのよ」
 しかし、マユミは重大なことを間違えていた。タチバナがクミの料理を美味しいと感じたことは間違いなかった。だがそれはクミへの祖父愛によって無意識に味覚が歪められたために美味しいと感じていたのだ。
「ほれほれ、遠慮せずにもっと食べなされ」
 ショージは慢心の笑顔で老人達に食事を促した。もはや逃げ場なしと悟った3人は人気最下位の競走馬に全財産をかける覚悟で残りの料理を口に入れた。
「なんということでしょう。これは予想外の展開です!!!まさか、私達のマユミお姉様があのクミに負けてしまうのでしょうか!?解説の副会長さん!」
「そうね、でもまだ勝負は終わっていないわ。クレフ君を見て!」
 一同の視線がクレフ少年に集中する。クレフ少年の料理はほとんど手付かずのままだ。
「おーと、これはどうしたことでしょう」
 そして、クレフ少年は俯いたままである。
 ショージがクレフ少年に声をかける。
「どうしたんじゃね。食べないとせっかくの美味しい料理が冷めてしまうぞ」
 クレフ少年は俯いたままポツリと理由を言った。
「だって、不味いんだもん」
 その一言はその場にいたほぼ全員を凍りつかせた。クレフ少年はさらに言葉を続ける。
「マユミお姉ちゃんのより不味い。苦いし、臭いし、なんか気持ち悪い・・・」
「バカな。この料理にはクミちゃんの優しさが、」
「こんなのいらない」
 言うが早いか、クレフ少年はその場から逃げるように走り去ってしまった。クミはそれを追いかけようとするが、マユミがそれを止める。
「待って、クミちゃん。まだ勝負は終わっていないわ。審査が終わるまでここにいなさい!」
 マユミに諭されて、クミは渋々その場に残った。


「それでは、途中アクシデントもありましたが、気を取り直して審査の時間です。審査員の皆様は、マユミお姉様が勝ちと思ったら赤を、タチバナが勝ちと思ったら白の札を上げてください。いっせいにどうぞ!」
 残った4人の審査員はいっせいに札を上げた。書かれている名前は全員「クミ」。クミの勝利である。
 会場が歓喜と悲鳴に包まれた。
「負けちゃったか」
 と言いつつ、マユミの表情はどこか晴れやかである。対照的にクミは大粒の涙をぼろぼろと流している。
「そーかそーか、クミちゃんは嬉しくて泣いておるのじゃな」
 とショージは思った。しかし、クミから出た言葉はその予想を裏切った。
「クミは、クミはクレフ君に喜んでもらいたくて料理を作ったんです。でも、クレフ君に不味いって言われて・・・、『他の人』に誉められても全然嬉しくないです!」
 そう叫んで、クミも会場から走り去ってしまった。
ほ、他の人!!!!!!!????
 それはショージの絶叫である。ショージの目からも大粒の涙が零れ落ちた。それは小学生のときに飼っていた柴犬のナポレオンが死んだとき以来、両親が亡くなったときにも流さなかった涙であった。
「クミにとって、ワシは『他の人』なのか・・・。ワシは、ワシは・・・」
「おーっと、なんというか、大変な展開になってしまいました。なんと!勝ったタチバナが泣きながら逃げてしまいました。このイベントはいったいどうなってしまうのでしょう?解説の副会長さん!」
「どうもこうも、勝負はついたんだから撤収するしかないじゃない。それにステージも、このテントもレンタルなのよ。さっさと片つけて1時半の回収に間に合わせないと延長料金を取られるのよ!リーマンショック以来、寄付金も減って、生徒会の運営費・」
「はいはいはい、というわけで、皆様とご一緒してきました楽しい時間もそろそろ終わりが近づいてまいりました。全世界注目のマユミお姉様とタチバナとの料理対決は、まさかの、まさかのタチバナの勝利で幕を閉じることとなります。でも、マユミお姉様は決して挫けません。いつの日か、いつの日か、」
 ここでリーゼロッテがふと気付いた。副会長の視線がさらに厳しさを増し、いわゆる目で巻きを入れているのだ。
「そ、それでは皆さん、ごきげんよう。
 なお、この番組は『大人への第一歩は下着から』でおなじみのシルクビロード株式会社、クリミアクッキー株式会社と、ニューバーリントン通り商店街の提供をもとにクリミア国立医大付属病院の全面協力でお送りいたしました。」


 料理勝負が終わり、会場は急速に解体されていった。
 その中で、マユミはクレフ少年が残したクミのカレーもどきを試食していた。
「こ、これは・・・」
 クミの料理は甘ったるくて酸っぱくて、それでいて舌にまとわり付くような苦味とチクチクするような痛みもする。カレーをベースにしているが、一緒に煮込んだと思われるチョコレートがスパイスの刺激を見事に包み込み、代わりにレモンと思われる酸味の刺激臭がする。しかも、全体的に焦げていて苦く、熱分解されかけているチョコレートが舌にまとわりついているのだ。チクチクとする痛みは複数の味に舌の神経が反応しきれていないためであろう。
「タチバナ先生もそうだけど、お年寄りにはこういう刺激のあるものの方がおいしいのかしら…。でも、これなら」
 マユミが何かを思い立った。
 そこへ司会の大役を終えたリーゼロッテもやってきた。
「まったく、皆さん、どうかしていますわ。タチバナが作った料理がおいしいわけないじゃない。あ、マユミお姉様、私にも一口いただけます?」
 そう言って、リーゼロッテはクミの料理を口にした。

 次の瞬間、リーゼロッテは泡を吹いてその場に倒れた。
「うーん、クレフ君には合わなかったみたいだけど、リーゼロッテも倒れるくらい美味しいみたいだからやっぱり試してみる価値はありそうね」
 それは新たな悲劇の始まりであった。


 ふと、マユミは自分に木陰から向けられた視線に気付いた。視線の主はさっき会場から逃げ
出したクレフ少年であった。