新年2日目!今年は元日からコネプラ三昧だ!

 

 いよいよ、8日に迫った、コネクション・プラクティスの認定講師である、ラスールの認定コースに備えて、仲間と練習を繰り返している。

 

 そして、今日は基礎コースパート2のファシリテーション参加、オンラインでのつながりの道のデモンストレーションに臨んだ。

 

 本来、デモンストレーションというのは、そのワークがどのようなものか?全体像の把握と手順が分かるように、比較的シンプルでわかりやすいテーマを課題として取り上げる。

 

 今回、受講者さんの寛大なご理解と、サポートとして参加してくださったラスール、そして何より開催ラスールの懐を借りて、自分自身の大きなテーマに挑んだ!

 



 それは・・・

 

 長年、痛み・苦しみ・葛藤の中,にとどまっていた課題だ!

 

 つながりを取り戻したい相手は母

 

 10歳のころ、母が私に向けた言葉が私の心にグサリと刺さっている。イメージするならば、牛刀で刺されているような感覚・・・

 

 兄に性的ないたずらを受けている現場を母が目にした後、母の口から聞こえてきた言葉

 

 『男はそんなものだ!逃げないお前が悪い!』

 

 このことばを聞いたところを観察で切り取ることにした。

 

 私自身は、もちろん向き合う覚悟はとうに出来ているが、見ている方に刺激が強いのではないか?母親役の人が受ける衝撃、リードするラスールの負担が気になった。

 

 だけど、そこには厚い信頼と安心感があって、私には、やらない選択肢は浮かばなかった。

 

 参加するすべての方の了承とホールドの中、ロールプレイが始まった。

 

 最初に、相手に対するジャッカルと呼ばれる非難、評価判断を思いっきり吐き出す。

 その時、私の声のトーンが重く、低くなる。冷ややかな、冷淡なエネルギーが私の中を

 駆け巡る・・・

 

 なんで守ってくれないの?

 

 助けてもらえると思っていたのに!

 

 なぜ?どうして? 地鳴りのするような、怒りと悲しみの渦が私の背中を押し続ける。

 

 今度は自分自身を責めるジャッカル

 

 私は汚い・・・ 汚れている・・・

 

 生きている資格がない!

 

 消えてしまえばいい・・・

 

 自分を責める言葉が止まらない!

 

 もう、いいよ!と止めに入られるほどに・・・

 

 道を歩き始める。何か固くて四角い何かが胸のあたりに火掛かっているような感覚。

 息苦しさと違和感を感じる。呼吸がうまくできない!感情がマヒしているような、身体丸

 ごと真空パックにされているみたいだ。

 

 母に共感する・・・

 

 母に感謝する出来事をシェアする。

 

 幼稚園の頃、余命わずかな祖母の看病へ九州へ行くことになった母から、一緒に行くか?

 それとも、お楽しみ会の主役を全うするために父や兄と残るか?母は私に好きなほうを

 選ばせてくれた。あの時、私は自分がスポットライトを浴びることよりも、母をサポートするこ

 とを選択したのだった。

 

 私は、このエピソードを感謝できることとしてシェアした。

 

 幼稚園児ではなく、一人の人間として尊重され、同じ目線で話してくれたことが何よりも

 うれしかったからだ!

 

 母の一番大切なニーズは、 だった。

 

 母へのリクエストの前に、ハート/脳・洞察をした。

 

 白くて明るい光の溢れる空間がそこにあった。

 

 リクエストの直前、私のメインニーズが信頼から守られることい変わった。

 

 リクエストは、

 

 母を、環境の良い施設を探して、そこで暮らしてもらうこと。

 

 母からの返事は、

 

 あなたは愛の人

 自分の道を進みなさい!

 

 だった。

 

 背中を押された気がした。

 

 その時分かった・・・

 

 私は、最初から母のことを心の奥底では恨んでなんかいなかった!

 

 母のことを誰よりも愛していたことを・・・

 

 

 表面の感情では人は、恨んだり、憎んだり、蔑んだりする。でも、その奥にはとても

 清らかな清流が流れている・・・

 

 傷ついた痛みが、ヘドロのように、私の場合、コールタールの様にこびりついてい

 たけれど、その奥にある大切なものの輝きをその瞬間見つけることができた。

 

 洞察の光に溢れる空間は、もしかするとこれからの未来を描くキャンバスなのかもしれない

 

 母との道を歩いてみて、

 母と私のきずなははじめからしっかりと結ばれていたことに気づかされた。

 

 そして、私は本当は、守られたくて仕方がなかったこと。甘えたかった事。

 それを、あの頃の私は素直になれなかった。

 だから、まだ、10歳の時のルチアが私の中で膝を抱えてないている。

 

 10歳のルチアはそこから 今、飛び立とうとしている。