私が鬱になったきっかけから、今日までの8年間、底なし沼で
もがき苦しんでいた私が
どのようにして、鬱を克服していったのか?
なぜ?こんなにも元気にイキイキと過ごしているか?
その道のりを!魂の旅を綴っていきたいと思います。
新しいクリニックを紹介してもらい、私の中での常識がガラガラと音をたてて崩れていった。今まで半ばあきらめかけていた鬱からの脱却!医院長先生のたった一言で私に希望が湧いた。
早速、提案されたセラピーを試すことになり、とてもわくわくしていた。
セロトニンセラピー・タッピング・メンタル鍼灸などを受けることになった。
しかも、薬も、まずは睡眠薬から減らすことが出来た。
はじめは、元のクリニックと並行しながら様子を見ることになる。
何もかもが目新しく、キラキラ輝いて見えた。
しかし、医院長先生は、ユーモアたっぷりに、
そんなに簡単に僕の事を信じちゃだめだよ!ホントは悪い人間かもしれないよ!
と言いながら、大きな口を開けて笑っていた。私も思わず吹き出して笑った。
こんな風に笑ったのはいつぶりだろう・・・
私のガチガチに固まった心がほんの少しだけ緩んだ瞬間だった。
まだまだ、体調は最悪で、セロトニンセラピーで朝日を1分間浴びる!というワークが
辛くて仕方が無かった。ほとんど1日布団の中にいる生活から抜けだすのは本当に大変だった。
身体が鉛のように重い。キラキラまぶしいものを見るのが辛い。朝日だけじゃない!
キラキラ輝く人もまた、とても苦手だった。
だから・・・
SNSやテレビでキラキラ輝いている同年代に女性を見るのが疎ましく思えてテレビを消して布団の中に潜った。
なんで、私だけこんなことしてるんだろう・・・
まだまだやりたい事、やらなくちゃけない事沢山ある筈なのに・・・
自分自身への怒りと嘆き悲しみが止まらなくなる・・・
そして、また、自分自身を傷つける・・・
傷つけても、傷つけても消えない痛みと焦燥感・・・
出口の見えないトンネルの先の光を見つけた時点でもまだ、置き場のない怒りと悲しみを自分自身にぶつけることしか出来なかった!
その頃、娘に宛てたメッセージが出てきた。
朝起きられないことを必死に伝えているけど、今読むと何が言いたいのかよくわからない!霧のかかったような頭の回路を必死につなぎ合わせていた。
娘へ
いつもお母さんのこと心配してくれてありがとう❤️😊
今度、病院を新しいところに変えたの。
といってもまだ東陽町にも通っているんだけどね。徐々に移行していく予定。
新しい病院は最先端の治療をしていて、まだ3回目だけど調子がいいの。
今日はEFTという治療をしてきたよ。
トラウマを逃すストレッチを教わったよ!
その中で、うつ病は頑張りすぎた人がなる病気❣️そのままで大丈夫。ゆっくり休んでいいんだよ!と自分に語りかけることが大事。
普段何も出来てないお母さんだけど、それなりに焦っているのよ!朝、起きれないのも薬の副作用のせい。
だから暖かく見守ってね!
あなたがお母さんの事心配してくれてる気持ちは十分伝わってるよ❤️
まずは、何も考えずゆっくり休むこと。心と体を休めることが治療の第一歩なんだって。そして年齢も段々無理がきかな句なってきているから、30〜40歳のペースから40〜50歳のペースにシフトチェンジしていく必要があるのだそう。
サッカーのキングカズが50代でも活躍してるのはそれを上手にしたからなんだって!
だから、ローラで活躍していた時のお母さんには戻れないけど今のお母さんの元気を取り戻すめに治療頑張るよ。
だから、焦らずゆっくり応援してね!
お母さんより
娘から
私はいつでもお母さんの見方だよ!といった返事が返ってきて泣いたことだけ鮮明に覚えている。
早く元気になりたい!焦りと思う様に動かないからだとの葛藤。そして新たな光を辿って道を進めることの苦悩、痛み、葛藤が!
今、このブログを書いている私の中で渦巻いていて・・・
あー、あの頃、こんなに苦しくて、痛くて、もどかしかったんだなあ。
精一杯生きてたんだなあ・・・と改めて
頑張っていた青頃の私を抱きしめてあげたくなった。
次回へつづく