私が鬱になったきっかけから、今日までの8年間、底なし沼で
もがき苦しんでいた私が
どのようにして、鬱を克服していったのか?
なぜ?こんなにも元気にイキイキと過ごしているか?
その道のりを!魂の旅を綴っていきたいと思います。
不安や緊張を薬でごまかしながら、何とか日々の生活をこなしていた。そんな中、子供の部活の応援は楽しみの一つだった。長男は野球部、おとなしく、部屋で遊ぶのが好きな子が小学5年生から野球をはじめ、少しづつ逞しくなっていった。弱小チームのレギュラーに何とか滑り込み、その姿を応援するのが嬉しかった。
娘も、野球部のマネージャーになり、こちらは本気で甲子園を目指すような、都立でも競合に近いチームで、美しいボールさばきにいつも魅了されていた。また、マネージャーの母でありながらも、選手のお母さん方と共に応援させてもらえることもうれしかった。
パン屋の仕事は、ちっとも慣れることが出来ず、いつも作業に追われて、びくびくしながら働き、辞めたい!と思った時に、他のスタッフが先に辞めてしまい、なかなか辞められずにいた。それでも、主治医に相談して、職場に鬱であることを告白して、退職の意向を告げることにした。
だけど、新しい人が決まらないと辞めることが出来ない!と言われ3~4か月続けることになる。その間の事は,辛かったことしか覚えていない!
カウンセリングでも、毎回仕事を辞めたい事ばかりの堂々巡りで、何の進展もないまま、体調は最悪なのに、周りには何事の無い様に装っていた。
鬱であることを知っているのはごく限られた友達だけで、夫にも親にも、ましてや夫の家族には告げてはいなかった。
私自身の中で、
鬱なんかにかかる私は、母親失格!嫁失格!という考えが、自分で自分を苦しめ、周りにサポートを求めるどころか、周りをサポートすることで、自分の存在を認めてもらうことに必死だった様に感じる。
そうでないと、自分が消えてなくなってしまいそうだった・・・
その頃の私は、
自分自身を大事にする!そんな当たり前のことを知ることすらなかった。
自分で自分を追い込み、出来ない自分を責め続け、自分自身を痛め続けていた。
何か、大きな黒い影に追いかけられているかのように・・・
自分自身を見つめることが出来ない、出口のないトンネルに迷い込んでいった。
だけど、そすらも自分自身で気づかないでいた。
次回へつづく