家の中が、急に静かになる瞬間がある。
冷蔵庫の開け閉めも少ない。
洗濯物も半分以下。
「ただいまー」の声も、「うるさいなぁ」も聞こえない。
それを「やっと静かになった」と感じる人もいれば、「胸に風が吹いた」と感じる人もいる。
これがいわゆる空の巣症候群。
でも、この記事とコメントを読んでいて、
一つはっきり分かることがある。
👉 同じ出来事でも、心の揺れ方は人それぞれ。
「空っぽ」になる人と、「達成感」になる人
記事の事例は、
・子育てを一身に背負い
・毎日が誰かのため
・自分の時間は後回し
そんな人生を長く歩いてきた人。
だから、子どもが巣立つと
役割ごとごっそり抜け落ちる。
一方、コメントにはこういう声も多い。
「寂しくはない。むしろ達成感だった」
「前から少しずつ心の準備ができていた」
「仕事やボランティアがあって無縁だった」
どちらも正しい。
優劣もない。
空の巣症候群は、愛情の深さの問題ではない。
「人生のどこに自分を置いてきたか」
その配置の問題なんだと思う。
仏教でいうと「縁がほどけただけ」
ここで少しだけ、法話。
仏教では、人も役割も感情も、すべて「縁」でできている。
親という役割も、
子育てという忙しさも、
「ずっと続くもの」じゃない。
縁が熟せば結ばれ、縁が尽きれば、ほどける。
空の巣症候群は、縁が切れた不幸ではない。
👉 縁が次の形に移ったサイン。
ただ、心は急には切り替わらない。
頭では分かっていても、感情は置き去りになる。
それでいい。
「寂しさ=弱さ」ではない
この記事が大事なのは、「放っておけば治る話じゃない」とちゃんと書いているところ。
寂しさが
・眠れない
・食べられない
・朝が怖い
そんな形になったら。
仏教でいう「苦」は、耐えるためにあるんじゃない。
気づいて、手当てするためにある。
病院に行くのも、誰かに頼るのも、
立派な「生きる力」。
空いた巣は、埋めなくていい
最後に、蓮谷憩として一言。
「空っぽになった心、早く何かで埋めなきゃ」
――焦らなくていい。
空いた巣は、無理に詰め物をしなくていい。その余白に、
・散歩
・小さな仕事
・誰かの役に立つこと
・何もしない時間
ぽつぽつ置いていけばいい。
巣が空いたのは、あなたがちゃんと育てきった証拠だから。
今日の憩の一言
子どもが巣立ったあとに残る静けさは、
「喪失」ではなく、次の人生が入ってくるための余白かもしれない。
焦らず、比べず、自分の速度で、巣を整えていきましょう。
あなたの人生は、
まだちゃんと続いています。
