1月27日。シャーリーの命日。

本当の最後までシャーのそばにいられて良かった。苦しそうなシャーを見ているのは辛かった。今でも、どんな風に弱っていったか細かく説明できるほどハッキリと覚えてる。
病院から連れて帰る途中の車内でシャーリーの様子が突然おかしくなった。家に着いてすぐケージに戻すと、手足がしびれたみたいに脱力して、首も曲がった状態だった。本当に、道路の上で死にかけている弱々しいトカゲのように見えてショックだった。
それからしばらく父とケージの前に張り付いてシャーリーの行動を見守った。その後は、落ち着いたように見えたり発作的に首をふりつづけたり口をあけて苦しそうにしたり、、の繰り返しで、、
同じ日に一緒に死ねたらいいのにと本気で思っていたくらい大好きなシャーリー。やっぱりシャーリーが先なんだと認めるしかなかった。
最後の最後は文字通りのたうち回っていたシャーリー。苦しくて全身で死に際の激痛と戦っていたのがよくわかる。二回回転して、ひっくり返ってしまってもう自力で戻れないと思って取り出して、いつもみたく手のなかに入れた。ずっと肺が動いているかどうか見ていたので、シャーの肺が動かなくなったのはひっくり返ったすぐ後からだったと思う。口を大きく開けるのが数回続いて、小さな痙攣は20分位は続いてた。おそらく、死後痙攣?シャーがいつ死んだというのはハッキリわからない。きっと意識はずっと朦朧としていたか、なかったかもしれないけど、シャーリーの目は横目でこっちを見てた。まぶたは自然に閉じていきました。

今まで何度もいろんな動物を飼った事があるのですが、まともに死に際に居合わせたのはこれが初めてでした。シャーが完全に死んでからも、私はシャーを手放せなくて、三時間くらいずっと左手で持ったまますごした。夕方になっても、夜になっても、シャーリーから離れられなかった。

オーストラリアにいるとき、両親からメロンが死んだと聞いたときも看取れなかったことと、寂しくて泣いたけれど まだシャーリーが居てくれた。でも、今シャーリーも居なくなって、私の部屋のクローゼット、通称ゲッコ部屋には空のケージが2つ。部屋の暖房器具もスイッチがオフになって寒くなりました。

辛くても、シャーリーがどんな風に苦しんで どんな風に死んだのか、その瞬間に一番傍にいて触っていられたことが、寂しくても私は満足です。看取れなかったら今後一生後悔していたとおもう。
 震災やひどい事故で離れ離れで、どこにいてどんな最後かも知ることができない飼い主さんや、ひとりぼっちで死ぬしかない動物もいるのに、私もシャーも本当に幸運だったと思う。

まだシャーリーとメロンが少し幼くて、私も今より若かったその頃からすでに 二匹が居なくなったら絶対辛いだろうなあ、、と心の準備はその頃から始まっていました。前に、シャーとメロンに 先に死んだら、三途の川の手前で待っててねーなんて真剣に語りかけたことがあって。だから、次また二匹に会えるのは私が死んだ後のはずです。
いつになるかわからないけど、生きてるうちは、まだまだやりたいこと目いっぱいやって、いつかシャーリーとメロンと再開できる時を人生最後の一番の楽しみにしてる。


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