▲中学校の技術科で真鍮のボルトを削って磨いてリングにするという授業の作品。
姉は磨くことが大好きなので、つるつるの本物のリングになって結婚申し込まれそうでしたけど、アキラはここまで。ちなみに姉は今年のクリスマスプレゼントに、プロ用の磨き粉がほしいと言ってます(ちなみにJK1年目)
障害は個性か?特性か?と言われる時代を過ぎて、とうとう障害はその人にあるんじゃなくて、社会にある!って時代になってきました。パチパチ。
そうですよ、ほんとにそうですよ。
うちの長男アキラはダウン症候群と診断されてますが、21番目の染色体が一本多いのが理由です。
でもまだ遺伝子ってなかなか固有のお仕事状態が判明してないらしく、顔が似てるのは遺伝子が仕事してるなーという感じですが、ほかは一様にコレとは言い難いものがあります。
うちの子は合併症が何一つなく、健康優良児で育ってきました。小学校も中学校も家族旅行に強制連行という自己都合以外では、八年まとめても数日しか休んでないんではないでしょうか。
だからといって「健康=いわゆる健常」でもなくて、生まれつき合併症もたくさんあって大変でしたが、うちの子より大きくすくすく育ち、お勉強ももっとできる同じダウン症候群のお友達もいます。
というわけで知的障害の現れ方も人それぞれ、もちろん後天的な環境も大いに関係しているに違いない。発達障害もほんとに人それぞれ。そりゃもう、コレは「個性」って言っちゃおう!となる気持ちもわからなくはありません。
私はそれに別に何の問題もなかろうと思いますが、なんか違うとも思って自分では言ったことがありませんでした。
で、最近やっと気づきました(遅い)。
うちの子にあるのは染色体が一本多いという事実だけ。
たぶんそれにまつわる記憶力の悪さとか概念認識の弱さってのはあるにしろ。
あとはきっと制度や社会やルールが彼らの前に大小の障害物として立ちはだかっている。
社会ってのはそれで成り立ってるんだから従うべきってのはあるとは思いますが、それはちょい置いといて。
こっちも努力するから、そっちもしてよ、と恥ずかしがらずに言えるようになるのは、平等でとってもいいなぁと思うのです。
そしたら私にとってかなりどうでもいい問題の
「障害or障碍or障がいのどれを使うのが正しいか問題」も
自分がなんで興味ないか、さっきわかりました。
向こうマターだから、どうでもいい。ボールは向こうが持ってる。
記憶力や概念把握力の弱い人が困りやすい個性を持った社会=知的障害のある社会
というわけです。
物事を斜めにしたりひっくり返したりして考えると、新しいアイデアが出やすいって言います。
ユニバーサルデザインとか考えるときは、こういうのが必要。
裏表のないシャツを作っている泉州の会社のことを知って、すごいなぁと思った次第。