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ある大学生が考えること

自分の考えを整理させます。

久々の更新。

内容は、暗い気持ちになりそうなのだが

これは自己満足なので至って元気です。

むしろ、これを書いて元気になるでしょう。


今回は自分自身の肩こりをほぐすように書き込む。

頭の中で、ぐるぐるしているものを結論付けたいようだ。

これを書く際に様々な方向の考えが浮かび、消え、また浮かぶ。

その一部を表に出してみる。


さて、最近感じる自分自身の問題点。



上から人に指示している際、人の目がとても気になる。

なんといっても、人に好かれようと生きてきて22年。

なにかの感覚で空気の違いを見つけてしまう。

それは自分自身が違和感を感じている時。

そして自分がどんなに楽しんでいても、同じ空間に「気まずい」と感じている人がいる時もそう。

勘違いなのかもしれないが、何か自分で違和感を作り出してしまっている。


また、ある人を説教したとしよう。

その人自身の行動を見ていれば、自分の好意はすぐに判断できる。

しかし、周りはどうだろう。

説教された人間が、第三者に話したとき。

第三者はどんなに正確に話をされても、その場の雰囲気と

説教した人間がどんな気持ちで説教しているのかわかるはずがない。

僕は疑問や憎悪をもつのではないかと考えてしまう。


次にグループという空間の話。

人は何かしらグループを見つけ出し、そこに自分の落ち着く空間を作り出す。

しかし、僕はどんな時も人の様子を伺い、どんな場面でも、どんなグループでも、

「無難な人」で終わってしまう。

何も残さない、影響を及ぼさない人間である。


これは、何か1つの経験で感じ取ってきたものではない。

小さい時から、一定のグループに属さない。

属していても、何か周りとの距離を感じてしまう。

長い目で見ると、余計にその感覚が強くなる。

実際、今現在の僕の生活のほとんどは1人で行動している。

いや、みんなそうか。

ただ、この寂しさのような、悲しさのようなものはなんなのだろう。

素直に話すことができない強がりを、邪魔者だと感じているのに手放せない愚か者である。


弱っていると、特に感じる。

いや、感じるから弱っているのかもしれない。

なんとも頼り難い男である。


強い人間は所属するグループなど考えない。

もしくは、自然に真の社交性を身につけているのだろう。

自然に仲間が集まっている人はその社交性を素晴らしく思うべきだ。

僕の社交性は先程も話したように、無難な人で終わる表面上の社交性である。

その社交性は表面的ではない、真の社交性だろう。


話を戻そう。

強い人間。

黙々と、目標に向かっているような自分自身の芯を持った人間。

周りを気にすることはなく、自分のペースでグングン成長していく人間。


それと比較して、自分を見てみよう。

大半の行動は人に合わせている。

何よりの問題はそれが嫌いじゃないから悩ましい。

自分を話すことが大の苦手。

自らのことを話していると恥ずかしくなってくる。


なぜか、人は誰よりも自分自身に興味を持っている。

更に平凡な学生話、何も持ち合わせていない生活、こんな人間の何を聞きたいのだ?

と自問自答してしまうからだ。

話しているとしても、相手の様子を見つつ、返答の具合を常に観察し、

話すか否かをリアルタイムで決めている。


また、人の話を聞くことが好きなのもある。

特に

僕が興味のある人、楽しそうに話してくれる人、真剣に問いただしてくれる人。


通りで話さなくなるわけだ。



このブログのまとめでもあるかもしれない。

僕は表面的な人間である。

疑われるのが大嫌い。

嫌われるのが大嫌い。

それが生み出した結果、どんな環境でも無難に過ごす。


この無難が、僕の最大の悩みだ。


と書いて手が止まってしまう。

全く、対策がわからないのだろう。

この部分が何も見えていない。

見ようとしていない。


他人には弱点と答えを投げかけている

と考え、自己満足に浸っているクセに

自分自身の負の部分には見向きもしない。


無責任な人間である。



この負をどのように改善していくのか。

今後の目標だ。