ご無沙汰しております💦長い間ブログの更新を開けてしまいましたが、ぼくはなんとかやってます。ご心配をお掛けして申し訳ないです(>_<)
今回は、女優の鈴木砂羽氏が演出を務める舞台「結婚の条件」における一連の騒動について、芸能界のことにはあまり詳しくないぼくではありますが、事実関係が分からないなりに自分なりの考えを述べたいと思います。

はっきりしているのは、劇団を主宰している江頭美智留氏が、役者の仕事のスケジュールを把握しておきながら、それを鈴木氏に伝え忘れたために、2回目の通し稽古ができなかったことで鈴木氏を怒らせたことですが、これは、江頭氏のミスであることは疑いようがないでしょう。

ただ、これについては鈴木氏のミスでもあるのではないかと思えて仕方がないんです。
演出家というのは役者を仕切るのが仕事ですよね。いわば役者の命を、生活を預かっているわけですよ。役者も食べていかなければならないわけで、その舞台だけのためにいるわけではない。
ということは、演出家は、すでに組まれている役者のスケジュールのことを考慮するのも仕事であるはず。
舞台に一人でも多くのお客さんに来てもらうために、舞台以外の仕事で、自分が預かっている役者に自分の舞台の宣伝をしてもらうのも立派な仕事でしょう。

稽古の監督をするのは、舞台を「成功」させるための仕事の一部分であり、鈴木氏は、自分が預かっている役者のスケジュールをきちんと把握した上で「2回目の通し稽古」を組むべきだったのではないかと思うのです。
そういう意味で、鈴木氏は重大なミスを犯してしまったことを認識すべきではないかと思います。
「私は聞かされていなかった」で済む話ではないですよ。

舞台において演出家の言うことは絶対であるとよく言われますが、それは舞台を成功に導けなかった時に全責任を演出家が負うからこそでしょう?
本来、権限の大きさと責任の重さは表裏一体であるはず。
芸能界に限らず、社会のいたるところでそこを勘違いしている人が少なくないように見受けられます。
「権力を持った者は何をやっても許される」という考えは、人の上に立つ立場の人間としては失格である、とぼくは声を大にして言いたい。

誤解を恐れずに言わせてもらうならば、出来の悪い役者に対して罵声を浴びせたり灰皿を投げつけたりすることが武勇伝のように語られる、今は亡き蜷川幸雄氏の行為なども、ぼくから言わせれば卑怯以外の何物でもないですね。なぜならば、絶対の上下関係があることを前提に、それを笠に着て、本来ならば犯罪に当たる行為をおこなっているのだから。

結論としては、ぼくは、鈴木砂羽氏の、人の上に立つ立場の人間としての自覚があったのかどうかを大いに疑います。鈴木氏はプロ意識の欠如を批判されても仕方ないと思います。

「プロ意識を持て」というならば、まずは隗より始めよで、上の立場の人間がプロとはこうあるべきだ、という姿勢を示すのが筋ではないでしょうか。そうすることで初めて、プロとは何かを学べると思うのです。