家康公めぐり【岡崎城1】
みなさま、こんにちばん和!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)仁王です! (^o^)人(^_^)
今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、仁王がめぐる歴史ゆかりの地。
今回は徳川家康公を巡ります! (`・ω・´)
去年は家康公没後400回忌でしたが、
今年は家康公没後400年の年になります。
家康公は、生誕されてから最期の時まで、
その一生を泰平の世のために生き抜いたお方。
自分の人生をまるごと全部、
泰平の世のために使い切ったお方。
私達仁王が尊敬する武将さんのひとりです(ノ∀`*)
それにしても…
家康公ほど偉大になると、
ゆかりの史跡を制覇するなんて事はまず無理なので
(アホウドリみたいな渡り鳥だったらできるかもね!)、
今回はとくに重要な場所をめぐってきました。
というワケで!
今回は、家康公生誕の地、愛知県にあります岡崎城です!
天文11年(1542年)12月26日、
家康公は、ここ岡崎城内で誕生されました。
幼名は竹千代(たけちよ)。
家康公は、人質として出されるまでの幼少期(1~6歳)と、
今川家滅亡から、武田信玄の駿府侵攻までの青年時代(19~29歳)をそれぞれ、
ここ岡崎城で過ごされました。
3歳の時には、実母於大(おだい)の実家が敵方についたため離別し、
6歳の時、今川の人質に向かう道中、家臣の裏切りにあい、
織田家に売られ、織田の人質になり、
8歳の時に、実父松平広忠(まつだいら ひろただ)が家臣に暗殺され死別すると
人質交換で今川氏の人質となるため、駿府へ移ります。
この幼少期だけでも、壮絶すぎる人生ですが、
これでもまだ、序章にすぎないんですよね…(TдT)
さて、そんな壮絶な人生の序章を過ごされた岡崎城。
家康公の産湯に使用した水を汲んだという、『産湯の井戸』があります。
なんともありがたいことに、
この井戸水に触れる事が出来る、
取り水場が設けられていました!
どうやら、以前は石囲いがあって、
近寄る事も出来なかったそうなのですが、
家康公400回忌にちなんで、作られたものなのだそうです。
これは本当に嬉しいです!!
岡崎市さん、ありがとうございます!!!
もちろん!しっかりバッチリ、触ってきましたよっ☆(`・ω・´)b"
こちらは『えな塚』
家康公のえな(胞衣)を埋めた塚。
現在のものは、もともと本丸南にあったものを移し、
記念としたものなのだそうです。
岡崎城には、みどころがいっぱいなんです♪
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