愛情って何だろう? | 風にふかれて ふんわりと  (湘南の風便り)

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香港から帰国して既に10年が過ぎて、家族もそれぞれに変化しました。そんな家族の日常の光景を海からの風に乗せて発信していきます。平凡を期待しつつ、波乱万丈気味の一家ですが、精一杯に生きてます。

すっかり更新せず、放置しておりました。

 

新たなテーマを掲げて、さあやるぞ、と意気込んだはずなのに・・・失礼いたしました。

 

コロナ禍ということもあり、よく悪くも一人で過ごす時間が増えています。

最初は本を読んだりもしていたのですが、時にはネットでドラマの再放送(?)を見るようになり、当時は知らなかった番組に出会うことがあります。

先日、「サキ」というドラマを見たのですが、主人公の女性が親に捨てられ、養親、特に育てのお母さんに愛されることがなく育ったことが心の傷というのでしょうか・・・それが原因で事件が起きる、ざっくりいうと、そんなストーリーでした。

母親に愛されなかった、というセリフを聞きながら、また、育ての母親が血のつながりがないから愛せない、というような言葉を発する場面がありましたが・・・

いろいろと考えさせられました。

 

この夏、いえ、春からのコロナ禍は、我が家にとっても当然ながら影響はあり、一番は息子の仕事が2か月なくなったことです。

それでも、6月以降は仕事はそれなりにあり、先月は一日も休みがないほど仕事に追われるようになり、少しだけですが息子の生活についての心配が減ってきた9月です。

都内在住ですから、それなりに息子もアパートに籠っていた時期もありましたが、緊急事態宣言明けからは仕事の関係もあり、ここ、神奈川の実家、我が家へも立ち寄ったり、泊まることもありました。

息子が20歳で独り暮らしを始め、年に正月とお盆しか帰ってこないようになっていたので、数年ぶりに息子と話すゆっくり時間があり、コロナ禍での唯一のささやかな幸せでした。

 

その息子とそのドラマのを見る前に待ち合わせてあったばかりだったので・・・切なくなりました。

血のつながりが大切かどうかはそれぞれの価値観もありますが、私の場合、息子の反抗期には悩まされ、どうしようかと考え、途方に暮れたこともありましたが、愛情という言葉を使うならば、息子への愛情は何も変わりませんでした。

 

コロナ禍で息子と語り合う時間がある中で、いつの間にか息子のほうが母親の話の聞き役になってくれていて、なんて大人になったのかしら、と。

ほんの少し前まで、息子から

 

ねぇねぇ、あのさ、

 

と息子の話を母親の私が聞く・・・それが気づいたら、私が話を聞いてもらっているのですから。

 

愛情って何か、言葉で定義するのは簡単ではないのですが、大切な存在と思う、その感情ということでしょうか。

 

今、息子に思うことは

 

また生まれ変わっても、私はやはり息子のお母さんになりたいな、っていうことです。