皆様、1ヶ月遅れのハッピーニューイヤー!



ついでに1ヶ月フライングのハッピーひなまつり!




そして1日遅れのハッピー節分!





そんなわたくし、時代遅れのハッピーイケメン、どうも隼汰です。

ええたまには鏡の自分にイケメンだと言い聞かせないと顔からエノキ生えちゃいますよ。
みなさん、たまには自分を褒めていますか?
僕は毎朝「よっ、まあまあなイケメン!」と鏡に語りかけています。

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さて、昨日は節分でしたね。

僕は毎年のことながら、街中に落ちている所有者不明の豆を見つけては一粒一粒交番に届けるという作業に追われていました。

ちゃんと持ち主のところへ届くといいなあ。いいことしたなあ。














しかしあれですね、僕は節分になるといつも深く考え込んでしまうんですよね、鬼の気持ちを。











みんな福豆を握りしめては、


「鬼はーそと!鬼はーそと!!」


と無邪気な笑顔で豆を遠投しています。












でも私はふと思うのです。


「はたして鬼が私達になにかしただろうか?」

「そもそも鬼とは何なのか?」

「鬼について私達は何も知らない、それなのに彼らを一方的に悪と決めつけ、何も考えず外へと追いやる私達の方こそ鬼なのではないか?」





と。




鬼とは昔から怖い、憎むべき対象として見られてきてますよね。

それは古くから伝わることわざにも表れています。











『鬼の居ぬ間に洗濯』

鬼さんをのけものにしないでください。
洗濯が好きな鬼さんだっているかもしれません。




鬼さんだって洗濯洗剤のCMのように、


広々とした庭に生い茂る芝生を踏みしめながら、

突き抜けるような青空の下で、

吊るされた純白のシーツとシーツの間をかきわけ、

屈託のない爽やかな笑顔で、




「お洗濯って、楽しい!!」



そして声高々に商品名をこだまさせ締めくくる、そんな洗濯に憧れを持っているかもしれません。




なので僕は、

『鬼さんと一緒にお洗濯』
意味:面倒なことも誰かと一緒なら楽しい時間に変わること



への変更を強く願います。















そして、

『鬼の目にも涙』


もう、勘のいい皆様なら僕の言いたいことはお分かりですよね。










































鬼が泣いて何がおかしいんじゃ!!
泣くわ!鬼かて悲しきとき、辛きときには思いっきり泣くわ!!
徳光さん並に泣くわ!
柴田理恵ねえさんばりに泣くわ!!




















口が悪くなってしまいました。ごめんあそばせ。



ではこのように改変したら少しソフトなタッチになるのではないでしょうか。














『鬼の目にも涙』→『鬼さんだって涙が出ちゃう、、、だって女の子だもん///』



うむこれだな。


来年から広辞苑にはこれが載ります。
























しかしね、私感動したんですよ。


何がって、先生にですよ。橋田壽賀子先生。








『渡る世間は鬼ばかり』、ですよ。





ことわざは『渡る世間に鬼はなし』ですけどね。
意味は、世の中には無慈悲な人ばかりではなく、親切な人もいるということ、です。


ことわざの方は鬼を無慈悲と決めつけているように聞こえますが。















『渡る世間は鬼ばかり』

私は勝手にこう捉えています。


世間には鬼がいっぱいいるよ、いや、みんな自身が鬼なんだよ、と。
人は知らず知らずのうちに迷惑をかけて、鬼になってしまうことがある、
つまり鬼とは、憎むべき抽象物ではなくてむしろ人間自身の弱い部分、愛すべき対象なんだよと。






















………



















あれ?ちょっといい話風になった?
なんか感動しちゃった?
泣いた?ねえ泣いた?

あ、これはあれじゃない?!
早速さっきの新しくできたことわざ使うチャンスじゃない?!

ほら、『涙』のやつ!!



みんな、覚えてるよね!?

僕が作った超インテリジェントなあのことわざ!!

そうそう、それそれ!!




よーし、それじゃみんなで一斉にいくよ!!!





せーーーのっっ!!!































鬼「いい加減にしとけよ」
僕「ごめんなさい。」



























隼汰辞典 新ことわざ

『鬼の一喝』
意味:有頂天のバカ者に自分の愚かさを思い知らしめさせること