加害恐怖は、僕の症状の中でも新しいものだ。
それまでは、全然そんなことはなかったのに、いつの間にか車の運転、道を歩くこと、そしてインターネットを見ることが怖くなった時期があった。まずは車の運転。運転は得意だという自負があった。事故を起こしたことは無いし、ゆっくり確実な運転をすることが好きだ。それなのにいつの間にかひとつひとつの動作や判断に自信がなくなった。車を慎重にバックさせたつもりでも、誰かを巻き込んでしまったのではないかと思い、車を降りて、車体のまわりを調べたりした。
右折や左折で、歩行者をひかなかったかどうか、どうしようもなく不安になって、わざわざその場所に戻ったりした。新聞に事故の報道はないか確認した。車体にぶつかった痕跡がないかも確認した。
家に着いたら、今日通った道を頭の中で全部思い出した。交差点で衝突音はしなかっただろうか。
信号は守れていただろうか。誰かを傷つけて取り返しのつかない状態になって、その人の家族や友人に一生消えないものを残してしまうことが怖かった。病気でこんなに苦しんでいるのに、それに加えて刑務所に服役するのも怖かった。
運転中は緊張感が高まりすぎて疲れたし、帰ってきてから1時間くらいかけて行動を思い出すのも、
ほんとうにイライラした。運転から気持ちが遠ざかって、歩いたり、バスや電車で移動することしかしなくなった。
そのうちに、道を歩くこともどうしようもなく怖くなった。どう考えても、まわりに誰もいなくても、人とぶつかった気がした。その人は衝撃で横の川に落ちて溺れてしまったかもしれない。何回も川の中をみたり、周りを見回した。あんまりやっていると、明らかに変な人だから、道ばたに咲いている花を見るふりをしたりしながら、必死に確認した。
そしてもう1つがインターネットを見ること。普通にニュースを読んだりしているだけなのだが、
無意識に何かのボタンを押してしまって、高額な商品を注文してしまったんじゃないかとか、悪意のあるコメントを書き込んでしまったんじゃないかと思い、不安でたまらなくなった。閲覧履歴を全部見返して、それぞれにアクセスしてみたりして、変なページを開いていなかったかを確認したりもした。そのうち、パソコンを開くのも気が重くなった。
今になって考えると、なぜこれらのことに極度の不安を感じたのか、自分でも不思議に思える。明らかにやっていないし、例えば悪意のあるコメントなんて、キーボードをたくさん叩いて文章を書かなければ書き込んでしまうなんてことはないんだから。過剰に不安になってしまうことも問題なのだが、確認という強迫行為を何回もやっても、「大丈夫という確信がなぜか持てないこと」が問題なのだ。これが強迫性障害の根本にある症状なのだと思う。
確信が持てなくても、どうにか自分のこころを納得させて、次のことに移らなければならない。いつまでもそこで確認していたら、他に何もできなくなってしまうから。だからある程度確認したら「よしっ」と勢いをつけてその場から離れるとか、自分で決めた呪文を50回唱えたら大丈夫とか、みんな無理矢理区切りをつける方法を、考えるんだと思う。
この区切りをつける方法を実行している時に、無理矢理その場を離れなくてはいけなくなったら、僕の場合は、ものすごく不安になって気が動転した。「気が動転」というのがこれまた説明が難しい。
僕も気が動転するとはどういうことなのか、それまで考えたことがなかった。しかし動転してみると、これが動転に違いないと思った。騒いでもどうしようもないし、かといって落ち着いてなどいられないし、わけがわからず自分が崩壊してしまうくらい混乱した。
今では加害恐怖もほとんどなくなって、落ち着きをとりもどしたのだが、具体的にどう克服したのかと言われると、時間とともに自然と軽減していったとしか言いようがない。これも結局は薬を飲み続けて、強迫性障害の不安感を取り除いていくしかないのだと思う。あとは、不安だけどあえてリラックスして、ひとつひとつのことを丁寧にやってみること。不安なことを考えてしまう思考が始まると、意識は目の前のことなんて、捉えなくなってしまう。視覚的には見えていても、こころまでは届いていない。これも自分の行動に確信を失わせる原因となる。あれこれ心配する前に、まずは目の前のことに意識を向けてちゃんとやること。大丈夫だという体験を積み重ねること。