連日テレビで放送されている東須磨小学校の教師いじめ問題。

 

度々放送される動画や、被害者の先生・生徒からの証言が明るみになる度に、

“いじめ”という表現よりも“暴行事件・傷害事件”という言葉の方がふさわしいなと

感じるこの頃です。

 

あんな善悪の判断もつかないおかしな人間を手本にしなければいけなかった若い教師や

彼ら彼女らから教わらなければならなかった生徒が不憫でなりません。

 

そして、人を育てる職業を選んだ人間が、よくもまぁ、あんな卑劣な行為を繰り返し、

人を潰してこれたな、とその教師たちやその環境を改善しようとしなかった校長達にも

心底嫌悪感が湧きます。

 

一度世間に明るみになると、如何におかしなことがその組織の中で行われていたのか、

黙認されてきたのか、どこからどう見ても『異常』だとしか映らない事柄。

 

でも一度その組織の中に入ってしまうと、繰り広げられる『異常』は『日常』になり、

慣れざるを得ない、適応していかなければならないという思いや、事をこれ以上荒立てたくない、

周りに迷惑をかけてはいけないという思い、最後には、適応できない自分・ターゲットになった自分の方が

おかしいのではないかという思いにまで至るかもしれない。

 

私は教育委員会がきちんと4人の実名、顔写真を公開し刑事告発をすべきだと思うし、

あの校長も含め全員を懲戒処分・実刑にすべきだと思う。

 

このニュースから、組織というものは正しい判断が出来ない人間が上に居ると、

大勢の人間がそこにいても、全員あらぬ方向に持って行かれてしまうという構図を

見た気がします。

人間の二面性を見た気もします。

 

怖ろしいことです。

 

『異常』を『異常』だと見抜けるのは心健やかなうちだけかもしれません。

心健やかな第三者の人達の目が、組織には必要です。

 

被害者の先生を始め、東須磨小学校の皆さんが一日も早く健やかな日常に

身を置けるようになることを願って止みません。