テレビ「映像の世紀・・エベレスト 栄光と狂気」 | 稜線の風に吹かれて

稜線の風に吹かれて

いつもは低い山、ときどきは高い山、その報告と日々折々に感じたこと、思ったことを気ままに綴ります。

録画で「映像の世紀 バタフライエフェクト エベレスト 栄光と狂気」(NHK)を視聴する。

マロリーの挑戦から現代まで、エベレストはどんな歴史を辿ったのか、という映像で綴る番組。

興味津々で視聴した。

 

まず、「エベレスト」という名は、インド測量局の前長官の名前から付いたということを知る。(チベット側からはチョモランマだが・・)

 

最初に挑戦したのは1924年、イギリスのマロリー(「そこに山があるから」と言った人、正確には「そこにそれがあるからだ」と言ったのだという)だが、山頂付近で行方不明に。登頂できたかどうかはいまだに不明のままだ。

そして、初登頂したのは1953年、ヒラリーとテンジン。ポーター350人を雇って。

その後、1960年に中国隊、1963年にアメリカ隊と、次々に登頂。

日本は1970年、1人を亡くしたが、植村直己、松浦輝夫が頂上を踏んでいる。

ここまでは、酸素ボンベを使っての登頂だったが、無酸素で挑戦したのは1978年のメスナーを擁するイタリア隊だった。

そして、1980年、メスナーは単独無酸素登頂という輝かしい歴史を作った。

 

そうして地球上最高峰のエベレストは、挑戦の意義は薄れ、ルートの開拓や装備の進歩によって、特別な人ではなくても登れる山となり、世界各地からの寄せ集めの商業公募隊が生まれ、誰でも登れる山になった。

 

次に出てくるのは、山頂からのパラグライダーや、中腹から下降するスノーボードなどだ。

さらに高齢での登山記録。

2013年、三浦雄一郎は80才で登頂を果たした。

 

映像は現在、2023年のエベレスト、登山者で大渋滞が起きているという。

メスナーは、「なんだか遊園地みたい、少しだけ危険で寒いというだけ」と言った。

 

最後に、1999年、エベレストの8160m地点で見つかったミイラ化した遺体はマロリーだったという。

しかし、マロリーが果たして登頂を果たしたのかどうかについては未だに謎だという。

 

1924年マロリーが挑戦してから今年でちょうど100年である。

 

貴重な映像ばかりで、保存版にしたくなるような番組だった。

 

 

*「映像の世紀」の主題曲(パリは燃えているか)は加古隆の作曲。

愁いを含みながらも希望も感じる曲調は一度聴いたら耳から離れない。これこそ名曲だと思う。

 

上高地、梓川の左岸。(2020年3月)