尾崎士郎著「国技館」 | 稜線の風に吹かれて

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いつもは低い山、ときどきは高い山、その報告と日々折々に感じたこと、思ったことを気ままに綴ります。

 書店で面白い本を見つけたので読んでみた。
 タイトルが「国技館」で、サブタイトルには「大相撲力士、土俵の内外」とある。
 著者は尾崎士郎という人。
 ほとんど知らないが、「人生劇場」を書いた人だという。
 1898年生まれの著者が見てきた戦前戦後の大相撲を、1960年発刊の「小説国技館」を底本にして、今回新たに文庫で出したというもの。
 この尾崎士郎という人、大の相撲好き、相撲通で、横綱審議委員も務めたという。
 さらに著者は、力士や親方ともかなり親しく、その思い出もたっぷりと描かれている。
 しかしもちろん、リアルタイムで知る力士は少なく、想像しながら面白く読んだが、話しの途中では、相撲についての著者の考えも綴られていた。
 
 抜粋すると、

 「相撲の精神を形成する伝統の底にあるものは、宗教でもなければ政治でもない。漠然とした感情的雰囲気の中でとにもかくにも生活を支えている人間(日本人)に、何とも知れぬ明るく、ゆとりのある気持をあたえてくれる。一種不可思議な意欲ではないかと思う。
 これは力士独自の生活環境とはおのずから別個の問題であるが、私は狂熱的な相撲信者が考えているように、相撲の絶対性などというものを規定したことは一ぺんもない。
 自由、闊達、奔放、無礙・・・ということを失ったら、土俵はたちまち私の眼から消えてしまう。
 それはそれとして、しかし、土俵は考えようによっては、単なる勝負の場であるにもかかわらず、観集が求めてやまざるところのものは、勝敗を絶した人生の、最も純粋で、高邁な、あるがままの人間を象徴した、最も典型的な自然のすがたである。
 人間は、誰にかぎらず、栄枯盛衰のはげしさの中に運命を託して生きているのだ。
 昨日の花は、今日の花ではなく、一日の現実を泥土にゆだねても、なお百年の夢の中に呼吸しようというところに、人間の生甲斐があるのではないか。それが、力と力の相結ぶ土俵の世界であるだけに、ほかの人生とくらべて、一層単純化されるだけのことである。
 土俵の要素をひと口に説明すれば、高まるだけ高まろうとする情熱と、生死を絶して勝敗を決しようとする激しさであるともいえよう。
 もちろん、土俵を取巻く無数の観客の中には、勝敗だけを目標にして、造型化した形においてのみ相撲をながめようとする人もあるであろうが、土俵の激しさこそ、人生の底をつらぬくまことのすがたである、という認識の上に立って、勝負に直面している人も少なくあるまい。
 相撲には、個人個人の人気のあることはもちろんであるが、全体としての人気が、どっと湧き立つことによって、土俵の魅力は、初めて絶対的なものに還元する。
 率直にいえば、勝敗そのものは、必然を最後のギリギリまで追いつめたところから生ずる偶然であり、この偶然が無意識のうちに作用することによって、土俵の魅力は倍加するのである。」

 長くなったが、これほど「相撲」というものの魅力を解説したものはないだろうと思う。
 相撲は、単なる勝負の場だが、純粋で高邁な、そして自然なすがたであるとし、激しさでもあるという。
 そして、全体としてどっと沸き立つことで土俵の魅力は絶対的なものになる。
 勝敗は、必然をギリギリまで追いつめたのちに生ずる偶然で、これが無意識に作用することで、土俵の魅力が倍加すると言っている。
 まったくその通りで、現代の大相撲にもすっぽり当てはまることだと思う。
 故北の湖理事長が、「土俵の充実」と叫んで久しいが、そのことが相撲人気を続ける一番の近道に間違いない。

 この尾崎士郎という人は、横綱審議委員会が初めてできたときの委員のひとりで、横綱を誕生させる、いってみればそのルール作りをした人でもある。(この人だけではないが)
 そして、この本の最後の章では、若乃花(初代)の横綱昇格の問題について書かれている。
 若乃花の成績が、横綱昇格に値するのかという問題だが、「二場所連続優勝か、それに準ずる成績」という申し合わせに、あくまでも原則を主張し否とするもの、いやそれに準ずるということで、昇格でいいのではないかという委員との鬼気迫る厳しいせめぎ合いに、そんなことがあったのかと驚く。

 余談だが、この若乃花はリアルタイムで知っている。
 横綱になってだいぶ経ってからだったと思うが、記憶が正しければ、郷里に巡業に来た時に、実際に観たことがある。
 綱を締めて煙草を吸っていた姿が忘れられない。
 そのほかこの本には、さまざまな力士が出てくるが、懐かしかったのは、吉葉山、鏡里、千代の山、大内山、三根山、朝潮あたりで、小さいころにテレビで観たような気がする。
 観てはいないが忘れてならないのは双葉山、前田山。
 そして、小さいころに一番夢中になったのは、なんといっても栃錦と若乃花の対戦だったように思う。
 
 この本は、1960年に出された本をもとにしているというが、あれから半世紀以上も経っている。
 著者が、いまの相撲を観たらなんというだろうか。是非訊いてみたいものだ。
 いずれにしても、歴史ある大相撲の発展を祈るのみだ。