先日の講座で、土星についてふと疑問に思った事を質問しました。
それは、「土星を自分で育てることができなかった場合、人から(土星を)鍛えられるような出来事があるか」
ということと、もう一つは
「その役目(土星)になる人とは、例えば親子間でも子が成人して社会に出ている場合には、子が親の土星を鍛えるようなパターンもあり得るか」
という2点です。
土星というのは鍛錬を示しますので、時間をかけて育てていく天体になります。
土星だけに限らず、子育て、社会経験、人生そのもの。
生きる過程において、その年齢域の天体がテーマとして表出し、人は成長していきます。
7歳までの月期では、本能のままに泣き、甘え、感受性や情緒を育むことを学び。
15歳までの水星期は義務教育の頃と符合するため、コミュニケーションを通じて読み書き言語など、様々なスキルを身につけていく段階です。
25歳までの金星期においては、世の中の全てが煌めいて感じ、恋愛や趣味などの楽しみや経験を経て美的センスを磨き、幸福感を全身で感じ取ります。
35歳までの太陽期に差し掛かると、社会生活を送る上での様々な経験を通じ、人生の目標や生きることそのものを見据えていく段階になるでしょう。
45歳までの火星期で、太陽を輝かせるためにと全力を燃やす。太陽と火星は連動させることによって社会に向かってアピールしていく力となります。一番無理がきく頃であって、ここの頑張りが後に活きてくるのですね。
55歳までの木星期で学ぶのは、寛容さです。脇目も振らずにひた走った火星期を経て、そんなに頑張らなくても、肩ひじ張らなくてもと、余分な力を抜くことでしか見えない事もあるのだと気付くでしょう。
60歳以降の土星期は、こうして築き上げてきたものがあるからこそ、大きく発展していくのです。
世の中は、非常にうまくできています。
棚ボタだけの人生や、成功なんてあり得ません。
土台があるから自信がつき、努力があるから発展するのです。
この土星の発展というのは、「土星期になったよ、じゃあ始めよう」というのでは遅いんですね。
ここを見据え、先に先に視点を持って、土台から地固めしていかないとなりません。
とか書くと仰々しくなってしまいますが、
「こうしたいな」「こうなりたいな」というくらいの目標で、最初はいいんです。
その思いが地盤になって、「なりたい自分」になるにはどうしたらいいのか?を考える。
そのためにできる事というのを、時間をかけて、ひとつひとつ増やしていく。
これが土星を育てるということです。
ここが甘いと、どうなるか。
例えば人生設計ですよね。
私なら、子供は一人、しかもバツイチなので、将来娘に迷惑をかけないようにしないといけない。
それにはいくら必要で、どういう暮らしをしているとベストなのか。
一緒に住む、住まないは娘が選ぶべきであって、離れて暮らすならば、なにが必要か。
仮に、一緒に住むことになっても、そこに甘えてばかりじゃいけないな。えとせとら。
みたいな。
なんでも先取りがいいです。
でないと目標が定まらないし、定まらないと、やはりそれもブレに繋がるからです。
例えば私でいえば、この場合において、「なんとかなるかな」と生きてきて、貯金ゼロだったとしますよね。
楽しければそれでよく、お酒ばかり飲んで、食べて、好きに暮らして。
こんな風に生きていた場合だと、ある日娘から「そんな好き勝手やってる人とは一緒に暮らせませんよ、面倒も見ませんよ」
と言われたりするわけです(例え話なのに胸が痛い)
それは、「ちゃんと考えなさいよ、まだ間に合いますよ」という、土星を育てるチャンスでもあります。
育てようとさせる天体の力が何らかの外的要因によって(トランジット等で)もたらされる事により。
立ち止まり、また考えて。
そうして成長していくのです。
木星の豊かさ、発展、贅沢やなんかを経験してしまうと、その先の締める、削ぎ落す。
という所に目を向けるのが、ちょっとつまらなく感じるかもしれません。
しかし。
スカートを腰で折り、巻き上げ、ミニスカを楽しむ高校生も
いざ受験となったらそのスカートを膝下に戻さなければなりません。
何れはきちんとしないといけないから、スカートは切らずに膝丈のままで学生生活を送る。
この感覚に近いでしょうか。
木星の発展というのは、土星とセットであって、土星を見据えているからこそのミニスカ、もとい保護や発展なんですね。
土星までは、頑張れば育てることができると習ったので、
私も少しは将来のことを考えねばと、書きながら思った次第です