正直に申し上げると、ハンク・モブレーはかつて嫌いなテナー奏者の筆頭だった。なんか音がモサモサしてるし、タイムは全くタイトでないし、他人の影響ばかりが耳に付く。まぁ、これは僕個人の意見なのだけど。


それでも一般的に人気の高いブルー・ノート4000番台のレコードを、安くはない価格で何枚か買って、ひたすらリスニングを重ね人気の理由を探った。良いアルバムは確かに有る。でも、そこには素晴らしいサイドメンの活躍も有る。ご本人はと言うと、先輩のデクスターやスティット、モード期になるとあからさまにコルトレーンの影響を感じる。オリジナル曲はというと、マイナー系の安直な如何にも「ファンキー」って感じの曲が目立つ。そこはティモンズのお家芸だし、ショーターのハーモニー感覚からすると大きく水をあけられてる…と、個人的には思ってしまう。


しかし、クール・ジャズという今まで全く興味を抱く事の無かったハード・バップ以前の音楽を聴き漁り、その当時の時代感覚を掴んだ上でモブレー参加の「スタイリング・オブ・シルバー」を聴いてみると、それらの僕の先入観はガラリと変わってしまった。

「The Styling of Silver」'57 (BLP1562)


これって、まさに自分の目指してるテナーのカタチではないか。雑味の多いソフトな音質、イーブンな8分音符、レイドバックしてゆったりなタイム感。現代のジャズでは本国アメリカでさえあまり聴かれなくなったサウンドだが、これこそ僕自身も本場NYで先輩ミュージシャン達から口を酸っぱくして叩き込まれたジャズの本質だ。


若い頃から何年もチャレンジして来て上手く行かず、やはりゲッツの様にタイトなタイム感が自分の性に合ってるんだ…と諦め掛けたその時に出会ったのがこのアルバムだったのだ。それ以来、'57年までに限定してモブレーを聴き漁る様になった。モブレーのレコードは高騰して中々手に入れられない為、安いレコードを見つけ次第購入するかYouTubeで聴くしかないのだが。


どれもクールに聴こえる。彼が本当に演りたかったジャズってこうだったんだ…と確信に近いものを感じた。しかし、時代はそれを許さなかった。いつからかジャズはよりラウドになり、モブレーもそれに翻弄されたのだと思う。



初期のモブレー。ラバーのマウスピースをかなり浅く咥えて、しかもファット・リップ。この状態であまり爆音が出せるとは思えない。しかし、この頃のモブレーはスィートな良い音で完璧にサックスをコントロールしている。


僕が考えるモブレーのターニング・ポイント「ブローイング・セッション」'57


この頃はまだラバーのマウスピース。物凄い音圧で終始吹きまくりのグリフィンとコルトレーンに囲まれてかなり気後れしてる様に感じる。実際、プロデューサーのアルフレッド・ライオンによると、周りが凄すぎるとモブレーはかなり怖気付いてしまうので、キャスティングが難しいと言及している。


かつて、レスター・ヤングはJATPで若いパーカーの勢いに呑まれ、酷く落ち込んだと言われる。モブレーもそれに近い状況であったのでは?と推測している(あくまで推測の域を出ないが)。やはりクール系はある意味、頑固で気が強くないと成立しないのでは?と思う。ポール・デスモンドは喧嘩っぱやかったそうだし、ゲッツもスタイルは変われど、基本的には終生あのサウンド・スタイルを変えなかったという頑固さが有った。落ち込んだレスターは酒と麻薬に溺れ、それがどんどん身体を蝕んで行った。一方モブレーはどうなったか。


「Workout」('61年録音)でのセッション風景。


この頃には既にメタルのオットーリンク(前作’60年録音の「Roll Call」のジャケットも同じマウスピース)。いつマウスピースを変えたのか今のところ定かではない。咥える位置も少し深くなってる様に見える。これによりエッジも増し、音量も多少大きくなったのではないだろうか。彼なりにコルトレーン達に立ち向かおうとしていたのかも。しかしその結果、僕にとっては中途半端なサウンドで、しかもレイドバックもあまり感じられず、モサモサ感だけが残ってしまった様に感じたのだ。


彼に関する文献を色々ネットで探したところ、最初の師匠がマルチ楽器奏者の叔父だったそうで、その叔父には「共演者と同じ事をするな。コントラストが大事だ。」「相手がデカい音ならソフトに、相手が速く演るならゆっくり演れ。」と教えられていたそう。それが如実なのは'57年以前だと感じる。相方がテクニシャンのトランペッターの時が多いけど、その際、必ずソフトにレイドバックさせてゆったりと演奏するモブレーを聴く事が出来る。


作曲に関しても、初期はメジャー系とマイナー系をミックスさせた、ほろっと来る様な切ないメロディを聴かせる魅力的な曲が多い。それが4000番台、つまり60年代以降は少しずつイージーな曲調が増えて行き、モーダルなものやロック系のものまで増えて来る。一般的には「分かりやすい」のだろうけど、僕にとっては魅力的ではない。これも生き残りを懸けたセールスの為なのだろう。ご本人がどう思っていたのかは神のみぞ知る…だが。


その後、麻薬で逮捕されたりで引退したり、ヨーロッパに活動の場を求めたり…と決して順風満帆とは行かず、持病の肺患いも悪化したりと、不幸を極めて行く。


晩年のモブレー。YouTubeで数枚アルバムを聴いたけど、あまり興味が持てなかった。


やはり、自分は初期のモブレーが好きなんだなと理解した。コードから少しアウトしたりもするし、「他人と違う事してやる!」という意気込みを感じる。それを貫徹出来なかったのは意志の弱さも有るかもだけど、やはり時代性が大きかったのだと思う。多様性が認められた現代と異なり、昔は社会の価値観が同調圧力的に統一されてた部分も有り、その結果「流行り」と言うものが存在したわけで、それに乗っかれなければ、ミュージシャンなんて生活出来なかったのだ。

’57年以前のモブレーは瑞々しく、あのモサモサした音色にも、フワフワしたタイムにも理由を見つけられる。あゝ、やはりこの人はレスターに影響を受けたクール・ジャズの人だったんだなと。そう思うと居ても立っても居られない程、モブレー初期のレコードが聴きたくて仕方なくなり、沢山注文してしまった(苦笑)