錯覚はこわい。
トリックアートとかそういうのなら良いんだ。楽しいし。
だけど、そういうのじゃなくて、もっとこう…自分のアイデンティティが自分の外にあるのだという錯覚。とてもこわいと思う。
例えばここにトウモロコシがある。
それはまごうことなきトウモロコシで、どこからどう見てもトウモロコシだし、成分的にもトウモロコシだし、遺伝子的にも味的にもトウモロコシだとする。
でもトウモロコシは考える。
『俺ってマジでトウモロコシなのか??』
いやいやいや。
トウモロコシだよ。どこからどう見ても。
私たちならそう思える。
でもトウモロコシ的には自分の成分なんて分からないし、鏡を見て見た目がトウモロコシだからって自分がトウモロコシであるという確証は得られない。
すげートウモロコシに似てる小麦かもしれないじゃん?穀類だし。
もっと言えば、トウモロコシの一粒一粒だってそうだ。
「所詮俺はたくさんいる粒の中のひとつ…」
とか思ってるかもしれない。
ありえる。
でもそれは私たちにはなんら関係ない。自分のことじゃないし。美味しければ良いのだ。
それってきっとトウモロコシのためを全然思ってないし、自分本位の考え方だと思うけど、人間にトウモロコシの気持ちが理解できるはずもないし、理解したって仕方ない。自分のことじゃないし。
でもきっと、そんなセンチメンタルトウモロコシにとって人間の存在ってカリスマなんだろうなぁ。
だってさ、得体のしれない自分を美味しく料理してくれて、ちゃんと食べてくれて、あまつさえわざわざ栽培までしてくれるんだよ?
超良いやつじゃん。神か。
うわー俺必要とされてるわーって思うよね。
そうなってくると、きっとこう思う粒も出てくる。
「人間が必要としてくれるんだから、きっと俺は必要なんだろう」
ハイッ!これ!!
これね!!!錯覚!!!
自分が必要かどうかをよその何かに託す。これやる人すごく多いね。
お姉さんね、すごく心配。
いや人のこと言えた立場じゃないしさ、余計なお世話だとも思うけど、自覚してるのと無自覚って大きな差やで??
他人ありきの自分じゃなくて、自分ありきの他人。
他人がどうこう言うから自分を捧げるんじゃなくて、自分がこうだから他人と支え合う。
人間ってそうやって生きないとつらいよ。
メンタルヘラヘラしちゃうよ。
食べ物だったり、恋人だったり、趣味だったり、ギャンブルだったり。
それはちゃんと、自分を高めるためにやれていますか?
「いて良いよ」って言ってもらうためにやってはいませんか?
自分でトウモロコシであろうとしない限り、あなたがトウモロコシであると認めてくれる完璧な存在など現れませんよ。
人間は人間のことしか考えないもの。
トウモロコシの気持ちなんて考えたことないでしょ?
人間に頼ったトウモロコシは、一生トウモロコシにはなれないですよ?
あなたたちが自分を見つめるきっかけになれば幸いです。
さ、今日も一日頑張ろう。
とりあえずヨーグルト。
