さて、この「宇宙少年ソラン」に関連しては、このあとにもうひと騒動あったようで、
むしろ世間ではそちらの方が「W3事件(ワンダースリーじけん)」などと
呼ばれているようです。
手塚さんは昭和40年(1965)に入って、予定されていたアニメーション企画
すなわち「W3(ワンダースリー)」の漫画版の連載を「週刊少年マガジン」誌で
始めますが、追って「宇宙少年ソラン」の漫画版も同誌で連載が始まると聞くや、
即時「W3(ワンダースリー)」の連載を中止し、直後に「週刊少年サンデー」誌で
同一タイトル、ほぼ同一内容で再度一から連載をやり直した、というものです。
この騒動の当時は、私は既に虫プロで「W3(ワンダースリー)」の制作に参加していた
という計算になりますが、なにぶん漫画家手塚治虫と両誌の編集部とのやりとりの
ことですので正直言ってその経過や真相(?)と言ったものは皆目分からない。
こちらはタイトなスケジュールの中でとにかく作品を纏めていくのに必死でしたので、
なんか漫画の方でドタバタしてるらしいという程度のハナシは耳に入っていた気がする
けれど、そもそもここまで書いてきた背景になったハナシも当時は充分に分って
いなかったので、同時進行ではほとんど関心を持っている余裕すらなかったというのが
正直なところです。
そんなわけでマガジン版の漫画「W3(ワンダースリー)」は一旦お蔵入りになってしまった
カタチですが、近年はそうした作品もネットで見られたりするようになっているようで、
息子が見つけてきて見せてくれました。
サンデー版「W3(ワンダースリー)」は当時の資料用の、本誌と同寸の単行本が何冊か
手許に残っていますがこちらの方(マガジン版)は纏まっては多分初めて見ます。
「W3(ワンダースリー)」のアニメーション版と漫画版は途中回の内容的にはあまり
共通性がなく、それぞれ別々に進行していたわけですが、
しかしそれでも主要なキャラクターの容姿や設定、シリーズ全体の
おおまかなオハナシは共通でないと両方見ている人たちが混乱してしまいます。
マガジン版の「W3(ワンダースリー)」とサンデー版の「W3(ワンダースリー)」は
一見同じ漫画の別の回のようにも見えますが、よくよく見てみるとキャラクターなどが
若干違っています。
まず何と言っても目立つのは主人公たる真一少年。これははっきり違う容姿です。
性格も違います。
マガジン版は手塚漫画に多い優等生タイプです。一方、サンデー版とアニメは
手塚漫画には珍しい、ちょっと不良気味の少年です。
あとワンダースリーのメンバーの名前も違います。マガジン版は、ノッコ、プッコ、
ボッコのうちノッコは「ノンコ」、プッコは「ガーコ」になっています。また、ボッコは
「隊長」とだけ呼ばれていて「ボッコ」の名は明言されていません。
リスのボッコの名を継ぐのかまだ決まっていなかったのでしょうか。
ここでちょっと時系列を整理してみましょう。
昭和39年(1964) 年~40年1月ごろ スパイ(?)騒動でアニメ企画「ナンバー7」再度白紙に
昭和40年(1964)2月中旬 長男生まれる←この時点では私はまだ集英社と漫画の打ち合わせをしていた
同年3月21日発売号 手塚さん「週刊少年マガジン」誌に「W3(ワンダースリー)」の連載を開始
同年4月25日発売号 「週刊少年マガジン」誌の「W3(ワンダースリー)」の連載中止(第6話)
同年5月30日発売号 「週刊少年サンデー」誌で「W3(ワンダースリー)」の仕切り直し連載開始
同年6月6日 テレビアニメ「W3(ワンダースリー)」放映開始
前述の通り、私はこの年の2月の半ばに長男が産まれた日にはまだ集英社で
長野さんと自分の漫画の打ち合わせをしていました。
神保町から田無の病院に急行したのです。
そしてそれこそその日の直後くらいに手塚さんから長野さんに「待った!」の電話が
入った勘定になります。
長野さんに電話の話を聞いて手塚さんと直接話すために虫プロに向かうと
(正確な日付は例によって憶えていません)、結局そのまま虫プロに入社することになり、
すぐに手塚さんと「企画」を纏めねばならないというオハナシになりました(笑)
家にすらほとんど帰れず、そのままカンヅメです。もちろん、まだ完成していない
「ドルフィン王子」の引継ぎのためにテレビ動画(株)に行ったりとかいろいろ
あったはずではありますが、感覚的にはその場で「拉致」されたような感じでした(笑)
「企画」としてはスパイ版「ナンバー7」がバラバラにされて、手塚さんが新たに思いついた
パーツとごっちゃに並んでいる状態。これをこれから半年足らずで一つのオハナシに
纏めた上でアニメーションシリーズの企画として再構成し、
さらにその制作体制を確立しつつ、実際に第1回からアニメを作り、
もう決まっているらしい放送開始日に間に合わせなければならないのです。
あの手塚治虫と私の二人でこのオハナシを纏めるのです。ただ、当時の(今もですが)
私はそういう部分では恐れを知らないというか、鈍いというか、まあ、あまり深くは考えずに、前年岡部さんや北川さんと「ドルフィン王子」の企画をわいわいと纏めたのと同じノリで
手塚さんとハナシを進めていきました。
あとから考えるとどうもそのあたりに手塚さんが大外にいた私を引っ張ってきた要因が
あるようなのですが(笑)
ところで、スパイ版「ナンバー7」は手塚さんによる世のスパイブームに対しての
「私ならこうする」というか、
一種のアンチテーゼ的な意味もあったのでしょうか、あるいはばらしたパーツの
有効活用的観点からかも知れませんが、スパイものを全くやめてしまうのではない方向で
考えてゆく流れになりました。
もしかすると手塚さんにはスパイ版「ナンバー7」は手塚作品としては異色な設定環境に
手塚的ヒーローを持ち込むという構図であったために、逆に手塚ヒーロー部分は簡単に
ひとに真似られてしまったという思いがあったのかも知れません。
大胆にも手塚さんは星光一とボッコの仲を裂き、手塚さんにとっての新たな挑戦である
スパイものの世界と従来からの手塚的世界に振り分けたのです。つまりスパイ星光一と
宇宙人ボッコの対決です!
しかし、いくら秘密兵器を山ほど持ったスパイでも超科学が前提の宇宙人との対決では
分が悪すぎますし、
一方見る人の思い入れに関してはたとえスパイであっても地球人であるスパイを
差し置いて宇宙人に肩入れする人は少数派になりそうです。
そこで手塚さんは「宇宙人は観察者として地球人を観察する立場」「スパイは地球人の
サンプルとしての観察対象」という奇抜なアイデアを発案します。
宇宙人を地球の観察者として位置付けるSFは海外SFなどでは当時も既にあったのかも
知れませんが、この時代のアニメーション企画の発想の水準としては「どんな(手塚風)
ヒーローが敵をやっつける話にするのか」といったレベルに留まっていた作品が
大半でしたから、それは確かに斬新なものでした。
ただ、それだと宇宙人の行動とスパイの行動の接点がなくなってしまうので両者を繋ぐ
主人公が別に必要になりました。これが真一少年です。従って真一少年は成立が
工程的に遅かった。マガジン版とサンデー版で容姿や性格が変わっているのは
この辺の事情を反映したものと言えます。
アニメ版と漫画版でキャラクターの名前や容姿や性格が違ってはいけませんから、
マガジン版もその時点での決定稿を反映したものではあったはずですし、
もし「事件」がなかったらアニメ版もマガジン版と同じで行くことになったはずです。
漫画版の仕切り直しに合わせてアニメ版の設定を修正したことになりますが、
なにぶんそう整理された進行ではなかったので、その辺の修正については
あまりよく憶えていません。