アニメーション作画のデジタル化が進んだ現在でも、タップと丸角三つ穴の動画用紙は
アニメーションの象徴となっている部分があるようですが、
実は「白蛇伝」製作時にはまだタップと三つ穴の動画用紙は作画の現場では使われて
いませんでした。作画はまだ角合わせで行われていたのです。
もっとも「白蛇伝」でもタップが全く使われていなかったわけではありません。
実は我が家から奇妙なタップが出てきたことがあります。
突起が妙に浅く、本体が分厚くてまるで文鎮のようなタップ。
これはセル用のタップなのです。
「白蛇伝」でもトレス、色塗りや、撮影などセルを使う現場ではタップを導入していました。
むしろその応用として動画の作画でもセル用の三つ穴タップが転用されたわけです。
東映動画の長編アニメーション作品で初めて作画にタップが導入されたのは、
長編第2作の「少年猿飛佐助」(昭和34年・1959)からのことでした。
この時からアニメスタジオにはタップを動かすカチカチという音が響くようになったわけです。
もっとも、もしかしたら最近はタップがカチカチという表現に違和感を持つ人も多いの
かもしれません。
私が東映に入社した時分には、もう「動画机」というものが作られていて、
スタジオに並べられていました。
動画机は木製のいわゆるライティングデスクの一種ですが、引き出しの代わりに天板の下の
空間に蛍光灯の一式が収まっていて光源になっています。
机の上面には窓用のスリガラスがはめ込んであってこれで動画用紙を透かすわけです。
近年のプラスチック製の「トレス台」と違ってガラス板なのでタップがカチカチいうわけです。
そんなわけで動画机そのものが生まれた経緯については知らないのですが、
当時はまだ学校の机や椅子も木製の時代ですし、
東映のような大きな会社が仕様を纏めて注文すれば、作ってくれる木工所は
いくらもあったはずです。
もっとも当時は東映自身も小道具やセットのために大規模な木工部隊を持っていた
はずなので、あるいはこうした机も自前で作ってしまった可能性もあるかもしれません。
鉛筆は最初はみな支給されたものを使っていましたが、じょじょに自分でもう少し良いものを
買ってくるようになります。緑色の安い鉛筆では芯が真ん中からずれていたり、
芯にダマが入っていて引っ掛かったりするのです。
落ち着きどころはやはり三菱のユニでした。
安物とは断然書き心地が違います。さりとて鉛筆は一番の消耗品ですから
ハイユニは高価なので結局ユニに落ち着くわけです。
あとは指示用の赤青色鉛筆。色鉛筆に似た紙巻はデルマ(Dermatograph、ダーマトグラフと呼ぶのが一般的なのかもしれませんが我々は「デルマ、デルマ」と呼んでいました)。
デルマはセルに書けるのでセルに指示を書き込むのに使います。
はじめのころは朝、皆が一斉に小刀で鉛筆を削っておりましたが、
のちには普通の鉛筆削りも使いました。
電動シャープナーが登場すると、いちはやく導入する人もいた一方で、
芯の先端へのこだわりからずっと小刀を手放さない人もおりました。
あとは消しゴムと羽根ぼうきくらい。
カットカットは作品としての完成形ではないせいもあって、アニメーター一人一人の
必須道具は、絵描きとしては多い方ではないと言えましょうか。