ともあれ、我々9名の新米アニメーターは大泉に新築された東映動画社屋3階の作画スペースの一角に並べて配置された動画机を与えられ、修行を開始したのです。
最初に与えられた課題は、記憶によれば、人物の歩きだったと思います。
各人に原画のゼロックス(コピー)が配られ、その間を動きで繋ぐという文字通りの「初歩」から始まりました。
どうやったら人物がきちんと歩いてくれるのか見当もつきません。
といって、手をこまねいている訳にもいきませんから、自分で考えられる限りの工夫の末、
ようやくそれらしきものを仕上げます。
で、これを教育担当の熊川さんに見ていただくと、
にべもなく「これではダメです」の一言。
かくして、9名の新米アニメーター、全員が絵を動かすということの難しさに
四苦八苦することと相成ったのでした。
どうにかアニメーションらしきものが描けるようになってきても
熊川さんの厳しい指摘は続きます。
「手ぇがー(↑)動く前にぃ、目ぇがー(↑)動かなければいけない」(矢印は息子補入)
これは当時、熊川さんが何度もおっしゃって一番記憶に残っている言葉です。
関西方面のことばなのでしょうが、独特のイントネーションでお話になる印象が強く残っていたのですが、
よく考えてみると、最初の段階からかなり高度な内容をお話しされていたことが分かります。
「手が動く前に目が動かなければならない」
これは、アニメーターの仕事はモノの見え方やカタチの変化を正確に
トレースしただけでは終わらない、という話でもあるのです。
「手が動く前に目が動く」、これは人間の動きをよくよく観察してみれば分る事実です。
実際に同時のものとずらしたものを両方作画して比較してみれば
前者はロボットのような機械的な動きの印象を与えます。
人間の意思と目の動きの連動は無意識的で同時的ですから理屈としても分かります。
実写の撮影であれば基本的には自然にそうなるでしょうし、
そのような動きをより自然にこなす役者が名優と呼ばれるのでしょう。
しかしアニメーションにあってはアニメーターがそうした自然の法則や人間の構造を
理解し、意識して、そのように作画しなくてはそのようにならないということなのです。
このことは現代の電子化された作画はもちろん、CGや人形アニメであっても変わりません。
アニメーターは単に人物像を絵に描くだけではなく「演技」の領域まで描かなければならないのです。