小山礼司氏は楠部大吉郎氏と同郷の群馬県出身で、東京芸大の日本画科を卒業されています。
アニメーターとしてはどんな形でその実力が発揮されるのか? 気にする同僚たちの視線をものともせず彼はさっさと課題をこなし、余力でしきりに何かの図柄を描いていました。
後に判ったことですが、なんと上野の美術館で催される公募展に出展する作品のエスキース(下絵)を描いておられたのです。
で、結果はどうだったかといえば、見事に入選。新しい時代の傾向をしっかりと取り入れた
近代的日本画作品という評価を得て展示されていました。
一方、動画技術の習得の方も、充分に課題の要求に応えていきます。
ところがこれを知った会社の方は、思い切った提案をしてきました。
「君は画家としての力量が並大抵ではないようだから、試しに背景を描いてみてくれないか」
「いいですよ」
という会話があったかどうかはわかりませんが、とにかく小山氏は、
動画の研修を終了すると美術課に配属されたのです。
当時、既にアニメーションの背景美術は独立した分野とはなっていました。
東映動画の背景美術部門は旧日動と東映本体の教育映画部の流れを汲むもので、
主として洋画(油絵)の技法を基礎としていました。
小山氏はここに水張りなど日本画の技法を大胆に持ち込んだのです。
残念ながら小山礼司氏は1970年代に自動車事故で早逝してしまったため、
単に参加作品を書き連ねるだけでは彼の功績が後世に伝わりづらいのですが、
彼の活躍が、日本のアニメーションの背景美術が単なる書き割りを脱して、
今日「聖地巡礼」などと言って海外からもモデル地に観光客を集めるような
そんな特異な地位を占めるようにいたる歩みの第一歩となったと言っても過言ではないのです。