ともあれ、当時ペーペーのアニメーターであった私が、高校時代にクラブ活動でいくばくかの山登りをしていたと知ると、岡部一彦氏は私に多少の興味を抱いてくれたようでもありました。

岡部さんと出会った当時の東映動画スタジオは「白蛇伝」の作業準備が進められている最中で、
我々新人アニメーターは動画の練習課題に追われており他のことに気を取られている余裕はありませんでした。
しかし、入社後数ヶ月の養成期間を過ぎて、実作業の現場に配属されると、ようやく社内の事情や人間関係を感じる余裕が出てきます。
岡部さんはしばしば動画スタジオにも姿をお見せになって、我々現場スタッフにも気軽に声を
かけて下さいます。

そんなある日、
岡部「君は山登りをしていたみたいだな」
私「はい。高校時代には山岳部に所属していました」
岡部「山行歴はどのくらい?」
私「南北アルプス、奥秩父、あとは丹沢の沢登りぐらいです。予算の都合もありますので北海道や九州の山には
行ったことはありません」
岡部「それなら充分」
私「はあ…?」
岡部「一応スタジオには話をして許可は貰ってあるけど、君、漫画を描いてみる気はない?」
私「へ? 漫画は大好きですし、そんなチャンスがあるなら是非…」

簡単なやりとりの結果、私は「山と渓谷」に連載マンガを描くことになりました。
会社に籍を置きながら、漫画家として連載を続けさせて貰うことができたのです。
掲載は「山と渓谷」誌上の1ページで、8コマだったり1コマだったりいろいろでした。

東映動画の方から苦情めいたものは一切ありませんでした。
当時の東映動画という会社は、こうした件に対して実に鷹揚な気風があって、その後も私自身、
大変な恩恵を受けておりまして、今でも感謝の気持ちは失っておりません。