東映動画作品「白蛇伝」の成功は日本の映画界に大きな影響を及ぼし、世界に広がる日本アニメの
原点的作品となったわけですが、それではその「白蛇伝」の企画はどのようにして実現したのでしょうか。
それに関わる人々についてのお話が一般に語られることは現在ではそう多くありません。
その企画者中のキーマンというべき存在は岡部一彦氏でありました。

岡部一彦氏は漫画「ベビーギャング」、絵本「きかんしゃ やえもん」などの作品で知られる
岡部冬彦氏の実兄でもあり、一般的な知名度は冬彦氏の方が高いですが、
一彦氏も当時、登山の世界ではすでに高い知名度を持つ人物でありました。
一彦氏は、ザイル、ハーケン、カラビナといった登山用具を導入して、それまでは登頂不可能とされていた
高峰や岩壁を征服する我が国における近代スポーツ登山の先駆者、昨今大流行のボルダリングを
日本に紹介した第一人者だったのです。

「白蛇伝」のオープニングでは岡部氏は橋本潔氏とともに「構成美術」とクレジットされていますが、
実際には作品そのものの中心的企画者の一人でした。
企画のみならず原作の選択よりストーリーの組み立て、キャラクター設定、服装や建物、
小道具に至るまでの考証を国立博物館の中国美術専門家に依頼するべく奔走するなど
企画を実現した立役者だったというのが真相です。
言わば「白蛇伝」という、日本初の長編アニメーション映画は岡部一彦の存在なしには存在し得なかった、
そのような人物であったわけです。

では、その岡部一彦とはどのようなプロフィールの持ち主だったのでしょうか。
当時のスタッフも多摩美術学校(現大学)出身という以外、あまり岡部氏の詳細なプロフィールを知る者は
多くはありませんでした。
しかし、直接お目にかかると、なんとも言えない風格と器のようなものを感じさせる人物でありました。