アニメうみねこを見ました。デイリーモーションでは、バトラの最後の戦いの26話までしかアップされてなかったので、全てを観たわけではないですが。
どうしても考えてしまうのが、ひぐらしとの比較です。
ひぐらしは、パラレルの無限ループの中から、いかにして人間の意志の力で負の連鎖を破るか、という方法論を、そのまま、販売マーケティング、プレイヤー、読者、視聴者あらゆる受け手や、その手段に至るまで、いわばメタ的に持ち込んだという点で、高く評価され、空前のヒットを生み出しました。
それは誰もやらなかった手法だったからです。しかし、第二作うみねこにおいては、すでに作者自身がその方法論をひぐらしにおいて「やってしまっている」ために、ファーストインパクトが薄れてしまっています。
竜騎士07氏も、ひぐらしを超えるために、どうしたらいいのか、かなり苦悩したと思います。その手法として、魔女ベアトリーチェを生み出し、主人公バトラとの「知恵比べ」を媒介に、プレイヤーたる我々と対峙しようとしました。
しかし、その手法において、一作目のひぐらしを超えることはできなかったと私は思います。
手法は違えど、テーマは同じ。テーマが同じことは悪いことではありません。むしろ、クリエイターがそのメッセージ性をコロコロ変えてしまう方が、問題だとも思います。
問題なのは、魔女からの出題という、手法の方だったのかもしれません。
そもそも私たち日本人には、魔女という西洋文化の認識が、根本的に薄いです。というか、肌として、もっといえば、DNAとして、理解しにくい民族性をもっています。
対して、ひぐらしは、昭和の農村で起きる連続殺人という点で、我々の意識下に、すっと馴染んだのではないでしょうか。
オヤシロ様のたたりという表現や、ダム建設というキーワードも、日本人には馴染みのあるものでした。
舞台設定のアンマッチともいうのでしょうか。うみねこという作品を受け取ってみて、そこが、大いにひっかかるのです。
気持ちがひぐらしほど入っていかない、別世界の出来事のように感じる、という感覚がずっとありました。
ひぐらしは本当に感動し驚嘆したので、次回作はテーマは一貫しつつ、また違った手法で、私たちに驚きを与えて欲しいと思います。
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