最近の少年ジャンプは、かつての黄金期(DBや、スラムダンク世代)からその方向性を、徐々に変化させようとしている。


90年代、ジャンプは作家の強大なヒット作に頼りすぎているところがあった。


一大ヒットを飛ばせれば、確かに部数も増えるし、読者の支持も得られやすい。キャラクター商売やTVアニメ、ゲーム化などのメディアミックスで、さらに資金は増える。


だが、ヒット作は永遠には続かない。やがて、連載は終了するし、一度ヒットを飛ばした作家が二作目でこけ、早々に連載打ち切りになった例は後を絶たない。


鳥山明のように、連載を終了しても変わらぬ人気、漫画誌を代表する、まるで神のような存在になる可能性は、わずかだ。


手塚治が「作家」としての存在感が強いのに対し、鳥山明は「作品」としての存在感が強い。


ドラゴンボール以外の連載作品はあまり聞かないし、どちらかといえば、ゲームのキャラデザインなどのクレジットで、名前を見る方が多い。


なにより、作家自体にやる気がないと連載は続かない。(ヒット作の印税だけで暮らしていけるのなら、よほどの情熱がないと無理だろう)


漫画誌が生き残るには、そういった一大ムーブメントを起こすような作家だけに頼っていては駄目なのである。


単なる二世漫画、復刻漫画がなにかと多い漫画誌の現状が、それを物語っている。いつまでも巨匠に頼った売り方は、いずれ身を滅ぼす。


まして今は不景気。娯楽費を削ろうという消費者ムードの中、つまらない作品が飽きられるスピードは、ますます速くなってきている。


現在看板漫画と呼ばれている「ONE PIECE」「BLEACH」「NARUTO」。200話前後の連載回数を経て、どの漫画も最終局面に向かおうとしている。


つまり、人気漫画が終わったその先を見据えていないと、遅かれ早かれ、発行部数は落ち、経費はかさみ、漫画誌はその存続自体が危ぶまれてしまう。


漫画はある意味ビジネスであり、集英社は会社なのだ。


かつてドラゴンボールが終わったとき、それまで少年誌では一位だったジャンプが、発行部数をマガジンに抜かれたことがあった。


ニュースでも取り上げられたし、仲間内で話題にもなった。


いま、この時代になにか手を打たないと、という危機感が、編集内部でもあったのかもしれない。


「DEATH NOTE」や、「ジョジョの奇妙な冒険」「HUNTER×HUNTER」などは、従来の漫画とは一線を画す、新しい表現方法や、ストーリー展開を僕らに見せてくれた。


「悪人」を主人公にし、最終回に死んでしまう漫画があったろうか。宇宙が一周するスタンド能力や、オーラと呼ばれる能力の無限性と有限性を見事にミックスさせた駆け引き。


どれも奇をてらっただけではない、なにか読者をひきつける魅力があった。


それは偶然にも、ネットカルチャーという荒波に乗り、そこから派生する、読者の「考える力」を養うきっかけにもなった。


漫画が漫画だけでは終わらない、俺なら私ならこうする、という議論や、ifの世界での能力バトルの結末、果ては、ジョジョ立ちやコスプレなどの、独自のカルチャーにも発展していった。(もちろんジャンプに限定することではないが)


ネット界におけるウェッブ2.0ムーブメントのように、今、読者は「与えられる漫画」を欲しているのではなく、「考える漫画、参加できる漫画」を欲している。


いや、その割合が少しずつ、増えてきている。ならばその方向へ向かおう。そういう漫画誌を目指そう。


そんな風に最近のジャンプを読んですごく感じるのである。





長くなってしまったので、続きはまた今度。