唐突に、昨日の9mmのフリーライブ映像の再放送をまたスペシャで見てから、思ったこと。



音楽の無料ダウンロード、MP3によるネット流通、共有ファイルによる無制限なシェア、無料動画サイトへの際限ない投稿と閲覧。それらに抗うように作られた、コピーコントロールCDや、レーベルゲートCD形態でのレコ社のプレス。


もはや著作権などというものが形骸化した中で、音楽の価値とはなにか。意味とはなにか。音楽はどこからきて、どこへいくのか。


ふとそんなことを考えてみた。



答えは、きっとライブにある、と思う。


音楽が一瞬の煌きを見せるのは、もはやライブにしかない。CD媒体を通して聞くことのできる音楽は、もはやその意味と、可能性を失いつつある。


ケーブルTVやスカパーに接続している人は音楽番組でプロモーションを見ればいいし、ネット環境にある人ならば、動画サイトや共有ファイルを漁ればいい。


昔はタワレコでしか聞けなかった新曲が、いまや丸々一曲、無料で世の中に溢れている。


ちょっと前に発売されたRADIO HEADの「IN RAINBOWS」は、当初、購入者に金額を決めさせるという画期的な発売方法をとった。


彼らはサーカスのように機材やPAを運んで、国中を回りながらライブをするという。


音楽を発表し、金儲けをすること自体に意味があるのではない。大事なのは中身を届けることだ。


今回の9mmのフリーライブにしても同じことが言えるだろう。


CDなんて高価でかさばるもの、だれが好き好んで買うのか。よっぽど「形」として残したい人か、ブックレットや歌詞カードを手元においておきたい人、ジャケットを寝転んで見ながら音楽を聴く人、そんな一部の人たち以外は、もう、CDを買うこと自体に辟易している。


そんな世の中がきっと来る。


いや、もう足音はそこまで迫っているのかもしれない。


しかし、CDを買わなくなったからといって、人々の音楽に対する欲求は消えはしない。


太古より続く音楽は、人が胎児だったときに聞く母親の心音が元になっている。


UNDER WORLDの「Born Slippy」は、西暦が2000にさしかかろうとするころ、退廃的な映画とともにそれをぼくらに証明して見せてくれた。


だからこそ、人々は音楽に対する憧憬ともいうべき懐かしさ、根本的な安らぎを求めるのである。


ならばその欲求はどこへ行くか。


媒体ツールがその機能を失うならば、根源的な欲求が示すベクトルはどこへ向かうのか。



それはきっと「生」の音へと向かうだろう。


つまり、音楽を直に聴ける場所、つまりアーティストと直接触れ合える場所へとそれは収束していくに違いない。


ライブ、フェス、クラブパーティ。そういった生音を感じ取れる場所への母体回帰、いわばエクソダスが始まるだろう。


日常にうんざりした人たちにとって、その空間は非日常的であればあるほどいい。


普段の社会と切り離されていればいるほど、その空間は煌く。


音楽は、さらに色鮮やかに光るだろう。


だからこそ、そこで人々は明日への活力を得るのだろうと思う。



つまりなにが言いたいのかというと、CDを買わない人は、ライブに行ったほうがいいよということ。


好きなアーティストを応援したければ、そのアーティストが音楽活動をしていく収入源が減っている今、ライブやコンサートにいくことが一番効果的な方法なんだよと、声を大にして言いたい。





ライブのチケットがとれなかったら、上記のようなことを言い訳にして、今ライブにいく人が増えてるから、とれなかったんだそうなんだと、自分へ言い聞かせて納得しようと思います。