私にとって『20世紀少年』といえば、学生時代に1、2巻が出始めたころにはまって、未来に突入してしばらくしてからまったく読まなくなった漫画である。
昔からこの浦沢直樹という人の漫画は、序盤は伏線をちりばめて、グイグイひきつける魅力があるんだけれども、中盤~終盤にさしかかるや否や、広げすぎた風呂敷をたためなくなって、雰囲気だけを残して去ってゆく、某チルドレンアニメのような不可解さがあるような気がする。(はじめからそれをねらった、確信犯的なアプローチなら許せる)
『monster』しかり。けれど、最近の『プルートゥ』はその辺を意識して書いてるような感じはあるけども。
で、懐古的な意味もあって、映画『20世紀少年』を見てみた。
※少しのネタバレも気になる方は注意。
う~む。
原作に忠実すぎたな・・。
確かに、話のボリュームの割りにはよくまとめてるし(はしょりすぎた感もあるが)、キャラの個性や見た目も、役者にぴたりとはまっている。
しかし、逆にはまりすぎてつまらくなってしまっている。たとえるなら、映画『電車男』のヒロイン役に、掲示板で似てると話題になっていた中谷美紀そのものを起用してしまったような、キャラには思い切り合ってるんだけれども、合いすぎて逆にどこか不自然さが残っているような、微妙なミスマッチ感があるのである。
各人の演技も微妙。棒読み感が拭えない。
これが地上波放映の、2時間ドラマとかなら許せる。しかしこれは「映画」なのであり、「映画」である以上、脚本・音楽・演出・役や演技その他もろもろが絶妙なバランスで絡み合って、結晶としてのひとつの「作品」を作り上げなければならないと思う。
脚本についてもそう。
台本なんかいらないじゃないか、というくらい、漫画(原作)そのもの。忠実に、原作を大事にしながら、作ってるんだといわれればそれまでだが、見終わった時に新鮮さが残らない。
それもそのはず。漫画で読んだ内容をそのまま映画にしてるんだから。
これなら、監督は誰でもいい。別に堤幸彦でなくてもいいし、行定勲でもいいし、だれだっていい。作家の個性や意志、人格が映画に反映されないなら、別にハリウッドでもいいのである。
映画『death note』は漫画の内容を踏襲しながらも、漫画のラストをきちんと踏まえた形で、監督独自の「作品」を描ききっていた。
原作を殺さず、生かしきったのである。
その点、『20世紀少年』は、原作を殺してもいないが、生かしてもいない。「空気」のような映画になってしまっている。
だが、以上のようなことをすべて水に流せる決定的な、ある事実が存在する。
それは、この映画が、「記念作品」として作られた、ということである。
・「記念作品」だから、まあ原作と同じでもいいか。
・「記念作品」だから、演技棒読みでもいいよね。
・しょーがないよね、だって「記念作品」だから。
映画会社かなんかの何周年作品として製作された『20世紀少年』。「記念作品」としての免罪符を手に入れることにより、映画そのものについての評価を、見事ふわりとかわしているように見える。
「みかわしの服」を装備した武闘家のように。
ちょっと否定的なことを書いてしまったが、カンナ役の子役が愛くるしかったので、すべて許します。
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