『スカイ・クロラ』見た記念に、その原作者でもある、森博嗣の『四季』シリーズを最近読み終えたので、考察を書いてみよう。
このお話は、『すべてがFになる』というメフィスト賞受賞作に登場する、一人の「天才少女」にスポットを当てた、いわゆるスピンオフ作品としての位置づけであるが、内容はかなり濃く、単なるスピンオフ作品を超えた、物語の力強さを感じるものとなっている。
主人公は真賀田四季。あらゆる記憶を即座に再生し、他人の人格を瞬時にトレースし、自分の中に取り込むことができる。そして、絶対に忘れない。
プログラムされた殺人。研究所からの脱出。崇高な意志。しかし、その天才性ゆえに、彼女を取り巻く悲劇は、いっそう色濃くその不穏さを増してゆく。
それは孤独と願いの螺旋。
四季はこの世のあらゆる事象・知識を吸収し、もはや何者にも追いつけないレベルに達しているが故に、誰にも心を開くことなく、たった一人でその人生を進めていくことになる。
幼少のころ、「天才少女」というレッテルを周りの大人や両親に貼られ、「子供らしく」扱ってもらえなかったことから、彼女は自身の中にもう一人の人格「其志雄」を作り出す。
彼女が唯一その思考を、対等なものとしてやりとりできる人物、それが兄・其志雄であった。しかし、実際の其志雄はすでに死んでおり、四季の中にある其志雄は、彼女がトレースしたいわば、亡霊、「こう尋ねれば其志雄はこう返すだろう」という、思考の産物に過ぎない。
しかしそれでも四季は、もう一人の人格、其志雄との会話をやめない。彼に尋ねることを止めない。それは、幼いころの母親との記憶に基づくものであった。
決して問い続けることをやめてはならない。母親のその単純な言葉が、彼女の行動原理であり、彼女のすべてだったからだ。
この作品を四部作すべて読み終えると、こんな仮説が浮かんでくる。
ひょっとして、彼女は「普通の人間」になりたかったんじゃないか。
喜び・悲しみ・怒り・楽しさ、そんな普通の感情を行動のベースに、感情のメカニズムなんかに気づくことなく、たどり着ける先を予測して、そこにたどり着いたことをトレースできてしまうそんな才能なんか捨ててしまって、一から、やり直したかったのではないか。それこそが彼女の願いではなかったか。
細胞を他人に移植させてでも、自分の娘を生かしたかったその純粋な「母性」。
最後の精神世界で、人格を取り込むことをあんなにも拒否していた「犀川」を登場させたことで、少なくとも、そう考えるだけの「救い」はあった。
絶望からの再生。
細胞を特化させ、何百年も宇宙空間を旅する彼女に、せめて、一筋の希望があることを。
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