『推し、燃ゆ』宇佐見りん 河出書房新社

私の妻はオタクである。
何オタかというと、声優オタである。
最近は舞台とかもやる声優さんが多いから、推しのために公演全日程チケットを取って毎日通い、推しを追いかけて1人GOTOキャンペーンで京都まで行く始末。
もう全然理解できないし、しようとも思わないけど、それが生きる活力になってるなら、まあいいんじゃないの、と思っている。

「推しは命にかかわるから」
妻を見ているとこれは真実のようだ。

理解してほしくもないし、
理解してもらおうとも思いません。
愛されようとも思いません。
推しを推してこそ人生。
生身の感情を剥き出しにされて、理解しがたい巨大なエネルギーに圧倒されると同時に、悲痛なくらいの切迫感、消えてしまいそうな危うさを感じる。

“背骨”を抜かれて、それでも立っていられるか。
否、それは“背骨”なんかじゃないと気づかされて、それでも立っていられるか。

世界観も文致も切れ味も、物凄いニュータイプが現れたぞ。
令和の時代の文学は、宇佐見りんがセンターだ。