岩倉城
掛川城開門30周年記念山内一豊公御城印
3城目は岩倉城
山内一豊生誕地とされる城です
一豊の父盛豊が、この地を治める岩倉織田氏の重臣であったことから、ココが生誕地とされていますが定かではなく、盛豊が黒田城の城代を任されていたため、黒田城説もあります。
郡上八幡から車で小一時間。
名鉄岩倉駅に隣接する岩倉市生涯学習センターで御城印を入手して、そこから歩いて10分位で城跡へ
遺構は残っておらず、碑が残るのみ
岩倉織田氏について説明すると
尾張守護の斯波氏の守護代として、尾張国の上半分を実質支配していました。
一方織田信長は尾張の下半分のさらに3分の1程度の領地しかありませんでした。
ただ信長の祖父の代に領内の津島神社が持つ水運、商家を傘下に治めたことにより領地以上の経済力をつけたことから勢力を伸ばします。
信長の父信秀の死後、家督争いで所謂うつけ者とされた信長より弟の信行に味方したことから信長に攻められて追放となり、岩倉織田も落城となりました。
残り2城
長浜城は6月、高知城は7月に行く予定