どうも
わたしです




あの日の話の
続きしてもいいですか?


その朝
わたしはやっと掴めた希望を胸に
ひとり病院に向かいました


感染症病棟の入口の所にある
控え室で主治医を待つ

待ってる間、メモをしたノートを見ながら質問することを最確認してたような気がする

ドアをノックされる音でノートから目を上げると、申し訳なさそうな顔をした若手の医師が入ってきた

直感で「なんかヤダな…」
そう思った

その若手の医師は淡々と
でも少し申し訳なさそうに
今、父さんが置かれている状況を話した

そして
あまりにも非常な余命宣告

『週から月単位』
『もしかしたら日単位』

耳を疑いました

「なんで?
   一昨日は奏功してる
   そう言ってましたよね?」

電話をもらった日から2日間
腫瘍の勢いが止まらない
car-t細胞療法は…キムリアは効いてない
脳の血腫は出血になってた

「なんかの
   間違いじゃないですか?」

「またこれから
   効いてくるってことは?」

いくつか質問した覚えはあるけど
医師の答えは全てNO

医師は検査結果などを見せながら
丁寧に説明してくれた

と思う
よく覚えてない

そうこうしてる内に
腫瘍内科の主治医が部屋に入ってきた
やっぱり申し訳なさそうな顔

あの顔は未だにわたしの頭から
離れないんだな…

医者ってこんな顔するんだ…
何故かそんなどうでもいい事がとても印象に残ってしまって…

他の記憶が曖昧なのに
あの顔ははっきり覚えてる

なんだかなぁ…



その後
本来なら絶対に無理だとと思っていた感染症病棟での面会…
父さんの病室に通された

「えっ!余命宣告すると
   感染症病棟でも面会できるんだ」

そんなふうに思った覚えがある

数日前にガラス越しで見た父さんとは別人のようだった
ショックだったけど
わたしは泣かなかった

その時にわたしの心は決まってた

『絶対にうちに連れて帰る』

でも、父さんにはそう言えなかった

『早く良くなって帰ってこいよ!』

そんなふうに言ったと思う

なんだか私だけが一方的に喋って
父さんはニヤニヤ笑ってたよ
声は出なかった…

わたしが防護服着て、めっちゃ気密性の良げなマスクとシャワーキャップみたいな紙の帽子を被って、フェイスシールドした姿がおもしろかったらしい…
完全防備で暑くて汗もびっしょりだったはず

「なーに?この格好?
   これにウケてんの?」

父さんは笑って頷いてた


父さんが最後に見たわたしの姿は、そんな姿だったんだ

これ書きながら、わたし
今、泣きながら笑ってしまってる

もう少し綺麗なわたしを
最後に見て欲しかったな…
なんて思いながら
泣きながら少し笑ってる

父さんとわたしらしいっちゃ
らしいなとも思う



病院を後にしてから
家に帰るまでの記憶はない

そうだ!
娘にどうやって報告したか考えたら
娘はその話にリモートで参加してた
思い出したよ…

ひとりぼっちで父さんの余命宣告を聞いた訳じゃなかったんだね
せめてもの救いかな…




これが1年前の今日の
父さんとわたしの話



この日を境に
わたしの歩む道が
完全に変わったと思う


病気になってからも父さんに
おんぶにだっこだった
父さんが居ないとなんにも出来なかった



今度はわたしが
父さんを担いで歩くと誓った日

わたしが自分の足で
歩き出さなくてならなくなった日

父さんが亡くなったその日よりも
そんな思いを強く抱いた日


そう、昨年の今日
その日からわたしは
ひとりで歩いてる


生まれたての子鹿のように
倒れても起き上がり
ヨロヨロと歩く
また倒れる
そして起き上がりまた歩く
そして時には走る


父さん、見てますか?
わたしは蹲ってばかりじゃないよ
少し歩くの上手になってるよね?

たまに倒れるけど
また立ち上がって歩いてるよ

わたしは父さんに続く道を
笑いながら歩きます


しっかり見といてよ!
父さんの自慢の妻の足取りを…

そして、倒れそうな時は
こっそり支えてね



父さん、ありがとう
ずっと、ずっーと大好き


と、思う
たぶん(笑)



今日も転びながら走ってるよ


胸張って
父さんに逢いに行くためにね


またね、父さん
いつか彼方でまた逢える日まで。。