1960年代の後半ごろに、ラジオの深夜放送をよく聞いていたが、友人たちも同じで、共通の話題になった。このころは、深夜テレビなどなく、ラジオも夜通し放送するようになったのは、そのころからではないかと思う。よく調べてはいないが。要するに、夜にはみな眠っていたのだ。寝ていたというべきだろうか。この二つの動詞の微妙な違いは、子供には分からないかもしれない。
深夜放送が夜通し流れるということは、びっくりするようなことだった。なぜならば、放送を夜通し流すためには、マイクの向こうにいる人が夜通し起きていなければならないからだ。そういう生活は、その当時では珍しいもので、昼と夜の関係を破壊しても大丈夫だろうかなどと本気で考えるような時代であった。もちろん、24時間営業のコンビニなどなかった。セブンイレブンは当初は朝7時から午後11時までの営業で始まったはずだが、そのときのキャッチコピーが「開いててよかった」であった。その前には、午後11時過ぎまで営業している店などありえなかったということである。
永六輔と言う人がいる。作詞家でもあるこの人の最もポピュラーな詞の一つが「上を向いて歩こう」。この歌は後にひょんなことで欧米でもヒットしたのだが、そのときには歌の名前は「スキヤキ」になり、歌詞は芸者・フジヤマというような、当時のアメリカ人の日本のイメージに合わせて変えられたという。
ところが、この「上を向いて歩こう」という歌詞に、永氏は60年安保闘争で敗れた国民の一人としての悔しさとか悲しさをかぶせていたということ、ずっと後になって知った。私はこの世代の下であるが、60年安保闘争というのは、なにかと自分の人生を、いや半生を規定する大きな要因であった。
この人が、とある深夜放送のラジオで発言した内容を、私は何年経っても覚えているのだが、多分、この発言を覚えている人はあまりいないだろう。本人に確かめるすべもないが、忘れている可能性が大きい。とある深夜放送のラジオなどとかくのも、局名も番組名も覚えていないからだ。その発言が確かにあったということを立証しろと言われたら、不可能かどうかは不明だが、相当の困難を感じるだろう。ひょっとして、だれも覚えていない事実を、私だけが覚えているとしたら、この事実は客観的なものなのだろうか、あるいは私の主観の中にしか存在しない事実なのだろうか、不思議な感じがする。
余談はさておき、このときに永六輔氏が語ったのは映画の話である。この時、永氏以外に少なくとも二人の対談者がいて、映画の話をしていた。実は、このときの対談の相手が誰だったのか、そしてその二人がどういう映画を紹介していたのかも、覚えていないのである。しかし、二人が、そのときにアメリカなどで話題になっていた映画に関する最新の知識を披露し合っていたことは、多分、間違いないと思う。私たちが深夜のラジオを通して知りたいと思っていたのはそういう情報だから、その会話はもっともなものである。
そのとき、対話の相手の一人が永氏に、最も感動した映画は何かと聞いたのである。なぜそういう状況になったのかも、会話の文脈を覚えていないが、確かなことは、二人の映画論と、永氏の感覚に何かしっくりこないものがあり、永氏がその点について言いたかったような状況だったということである。そのときの永氏の発言が、40年も過ぎた今、ひょっとすると私だけが記憶しているかもしれない印象になって残っているのだが、それは、「私がいままで見た映画で一番感動したのは野生のエルザだ」という発言だった。この映画は1966年に公開された映画である。その深夜放送の日を正確に特定することはできないが、少なくとも1960年代の終わりか、1970年代のごく早い時期だったことは確かである。だから、その当時から見て、この映画は決して時代遅れな映画ではなかった。しかし、対談の相手はかなり露骨な言い方で、「これは意外ですね」と答え、「あの映画のどこに感動したのですか」聞いた。それに対し、永氏は、映画のラストシーンで、エルザが(自分が産んだ)子ライオンを連れて、アダムソン夫妻のところに戻ってきたのを見て、僕は涙がとまらなかった」と答えた。それに対し、対談者は「そういう感覚は理解しがたい」と言う風に応酬していた。
この会話がどういう意味を持ち、なぜ私がこれをいつまでも覚えているようになったかについて、短くまとめることは難しい。このブログで、少しずつ、できる限りその意味を解明していきたいのだが、その深夜放送のラジオを聞いて、私の心に永氏の発言が残り、対談していた相手の語った内容がまったく残らずに消滅していることが、真実とか洞察とか大切なものに関するある重要な命題を示しているのだと思うのである。