『象の背中』 | エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

ただの戯れ言?!またはエッセイのようなもの。
そしてボクは時をかける。

『象の背中』


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【出演】
役所広司、今井美樹、塩谷瞬、南沢奈央、井川遥、手塚理美、笹野高史、岸部一徳、高橋克実、伊武雅刀、益岡徹、白井晃


【監督】
井坂聡




“余命半年……「今」この幸せを、生きていく”




妻の美和子と二人の子供、大学生の俊介と高校生のはるかとの幸せな家族4人。


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会社での地位も得て、順風満帆に暮らす48歳の中堅不動産会社部長・藤山幸弘は、今まさに人生の円熟期を迎えていた。


しかし、ある日突然、肺ガンで余命半年と宣告されてしまう。

「あと何年くらい生きられるんでしょうか?」
「半年がひとつの目安かと」


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その時、彼が選択したのは……延命治療ではなく、今まで出会った大切な人達と直接会って、自分なりの別れを告げることだった。


俊介と、愛人の青木悦子にだけ「自分が癌である」と告白するが、23年間連れ添った美和子と娘のはるかには余命宣告の事実を告げないことを決める。


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「死ぬまでは生きていたいんだ」


進行中のプロジェクトを軌道に乗せるよう努力しつつ……怨みを買っていた昔の取引先の相手や、喧嘩別れした友人、初恋の人に会いに行き、自分が癌で死ぬことを伝え‘遺書’を残して(伝えて)ゆく。


「自分の人生をもう一度、確かめに行く」


これまでの人生を振り返って、自分が生きた時間とはこういうものだったと、しっかり見極めて死にたいと思ったのだ。


やがて病状は悪化していき、遂には妻も知るところとなり……「今」を生き抜こうとする夫を懸命に支えることを決意する。


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それは、二人にとっては夫婦としてあらためて向き合うことでもあった。

すべてを妻にさらけ出した夫。その夫のすべてを受け入れた妻。


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「死ぬことを考えてたら、どうやって生きるかを考えてた。俺は生きることを最期まで真っ当したい」


23年間を共に過ごしてきた夫婦にとって、この最後の180日間は、忘れ得ない、かけがえのない時間となるのだった……。


象は、自らの死期を察知した時、群れから離れ、死に場所を探す旅に出るという。
自分の死を見せたくないのだろうか?
それとも、この世への未練を断ち切るためだろうか?……俺には出来ない。
ひとり、孤独のまま、姿を消すことは出来そうにない。
愛する者たちに見送られたい。


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末期ガンに侵されながらも今を生きる幸せを噛みしめて生きる男の姿を描いた人間ドラマ。



苦悩の末、「死ぬまで生きる」決意をし、大切な人たちに見守られて逝く事を選ぶ主人公。

死の宣告は本人だけでなく、家族をはじめ周りの人々へも重く辛くのしかかる。

それぞれが幸弘の選択を受け入れてゆく過程は切なくも残酷。
それでも尊重されるべきは死にゆく者の意志であるなら、これもまた潔い最期かもしれない。


一人の男の死に様(=生き様)と、夫婦と親子の家族の絆が綴られているのですが……。



余命いくばくもない主人公が、今まで自分が係わった人たちを訪ねて回る……というところに惹かれて観たものの、実際に会うのはたった3人だけという肩透かし。(しかもそのうちのひとりとは偶然に会う)

初恋の人、学生時代の親友に会った時のエピソードはとてもよかっただけに、この‘訪ねて回る’くだりをより広げていけば、泣きに泣ける作品になったんじゃないかなぁと。(親友役の高橋克実との再会シーンは凄くよかった)


本当はもっと会う人がいたのだけれど(ノートに書きとめていた‘会いたい人リスト’の名前は、7~8人くらいあった)途中で病状が悪化したせいで、断念せざるを得なくなったという形になっている。


再会して回る部分はほんの一部で、その後は家族とのエピソードが軸になって進んでいくも、愛する妻と家族がありながら、若い愛人がいるという設定はどうなんだろ?

家族にも愛人にもいい顔をして、ある意味かなり都合のいい男だなって印象も。

ましてや「もう一度だけ顔が見たい」と愛人をホスピスに呼び寄せるあたりは、身勝手すぎ。
しかも献身的に看病する妻が一緒にいるにも関わらずだ。

どうせ死ぬんだからこのくらいの我が儘は大目に見てくれ……といったところか?

で、最期には「孤独では死にたくない。愛する人たちに見送られて死にたい」……って、やっぱ勝手な男としか映らなかった。

妻は「ですます」調の敬語を使い、古風で健気で夫に尽くしに尽くすタイプ。
そんな妻は「生まれ変わってもまた一緒になりたい」と死にゆく夫にラブレターを書く……どこまで従順な女なんだ!
どうせまた浮気されちゃうぞ……なんて思えたりして?


妻への愛、家族愛がテーマながら、愛人への愛も大切だという男の傲慢なエゴが見え隠れしてしまうため、感情移入には至らずでした。

愛する妻と愛人に看取られて逝くのは、男にとっては幸せなことだったのかもしれないけど?

余命いくばくもない人間は、多少の身勝手さは許容範囲って感じなのか。



役所広司は、大減量をしての熱演で死期が迫った雰囲気を見事に表現。(ただ死相メイクはちょっとやり過ぎ気味で‘ゾンビ’みたいになっちゃってますがあせる



それからクライマックスでの海辺のシーンで、いきなり娘がチアガールの格好をして「GO!GO!ダディ!」と踊り始めたのには……違和感を通り越して失笑するしかなかった。

父を元気づけようという気持ちは分かるけれど、せっかくの泣きどころシーンが台なし的感も。

でもその時の南沢奈央が超可愛いので、サービスカットとして捉えれば全然OKです(笑)。

ちなみにこの作品、南沢奈央の映画デビュー作でもあります。


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この映画の最大の見せ場(?)は、妻と見舞いに来た愛人とが病室で対峙するとこですかね。
静かな中にも、もの凄い緊迫感が流れて……いくら病人とはいえ、夫はよく平然とベッドに寝ていられるな~と感心してしまったあせるあせる