叔父と競馬 | エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

ただの戯れ言?!またはエッセイのようなもの。
そしてボクは時をかける。

何を隠そう、ボクは競馬が3度の飯より大好きだ。
競馬に行く日は朝から(いや、前日からか)ウキウキワクワクしてしまい、ほとんど小学生の遠足状態だ。


ボクがこれほどの競馬ファンになったキッカケを作った人物…それは間違いなく叔父だ。

叔父夫婦には子供がいなかったためか、ボクや従兄弟を自分の子供のように可愛がってくれていて、小学生の頃にはしょっちゅう遊びにも連れて行ってもらっていた。

奥さんが一緒の時には、映画や遊園地、プールなど子供が喜ぶ真っ当な場所だったのだが、叔父一人の時には必ずと言っていいほど競馬場に連れて行かれた。
いま思うと、とんでもない大人だ。

でもボクは競馬場に行くことは嫌ではなかった。むしろ好きだった。

競走馬の走る姿に魅了され、芝の美しさに感動し、歓声や罵声、嬌声の飛び交う様子に興奮し、焼きそばやタコ焼き等に舌鼓を打ち(競馬場だとどんなチープなモノでも、やたらと美味しく感じる)…こうして当時まだ小学生のボクは、徐々に競馬の魅力に取り憑かれていったのだ。

最初はただ叔父にくっついてレースを見ていただけだったのだが、(それだけでも十分楽しかった)そのうち自分でも馬券を購入してみたいという欲望が沸き上がってきた。

ボクは意を決して叔父にこう言った。
「叔父さん、ボクも馬券を買ってみたい」
一瞬、怒られるかと思いきや、叔父は嬉しそうにニコッと笑うと「よし!それでこそ俺の甥っ子だ。そしたら好きな数字を言え。お前の分も買ってやる」

こうしてボクは、小学生にしてギャンブラー・デビューしたのだった。

中学生になってからも、月に2~3回は叔父と競馬場へ行っていた。
本当は一人ででも行きたいところだったけれど、まだ未成年なのでそれはさすがに無理だった。

そして高校生になり…ボクは一人で(たまには友人と)競馬場に行くようになっていた。
勿論、まだ馬券を購入出来る年齢ではない。
だから警備員などに咎められないように、なるべく大人っぽい服装で通った。(とりあえず、これはもう時効ってことで)

授業中にこっそりと競馬新聞を読んでいるのを教師に見つかり、こっぴどく叱られたことも何度かある。

休み時間に真剣な顔で予想している姿を遠目から教師に見られ、「お前は偉いな~休み時間まで勉強するなんて」と勘違いされて褒められたこともあった(笑)。

やがてボクは大人になり、堂々と競馬場に行けるようになった…と同時に、叔父と競馬に行く機会も何時しかなくなっていった。


そんなある日、叔父が入院したとの知らせが入った。あまり容態は芳しくないらしい。

ボクが見舞いに行くと、そこには別人のように痩せ細った叔父の姿があった。

叔父は開口一番「お前、この前のG1レース勝ったか?」

ベッドから動けない状態でも、やはり叔父は根っからの競馬好きだ。ボクは何故か嬉しくなった。
「大丈夫?何か辛いことない?」
「辛いよ…辛い」
「どこか痛いの?」
「競馬に行けないのが辛い」

そっちの辛さかい!

「あのな、お前に頼みたいことがある」
「ん?」
「今度の天皇賞の馬券、俺の分も買ってきてくれ」

叔父は心底、競馬が好きなのだな。正に競馬バカだ。

「またお前と競馬場に行きたいな、昔みたく」

「行けるよ!行こうよ、また!」

「お前は俺の一番弟子だからな」

「うん」

「今度の天皇賞はな、○○が本命で、対抗は△△だと思うんだ。鉄板だな、絶対に来る」

叔父の鉄板ほど当てにならないものはない。

「天皇賞の前の日は、忘れずにまた来いよ。そのときまでに何点か予想しとくから」

その後、しばし競馬談義…その時の叔父は本当に楽しそうで、饒舌で…元気を取り戻したかに見えた。

しかし、それから数日後…叔父の容態は急変し、楽しみにしていた天皇賞を見ることなく、逝ってしまった。


そして天皇賞当日…ボクは叔父が本命と対抗に押していた馬の馬券を買った。

結果は2頭とも惨敗…やはり叔父の鉄板は当てにならなかったな。

その馬券は只の紙切れと化した…がボクはその馬券を大切に持ち帰り、叔父の霊前に捧げた。

「叔父さん…叔父さんの予想ダメだったじゃないですか。最後くらいビシッと当てて下さいよ。御蔭でボクも大損です」


叔父との思い出がいっぱい詰まっている競馬場に行くと、今にも叔父がひょっこり姿を現しそうな感じがしてしまう。

「これは鉄板だな」
叔父さん…叔父さんの決まり文句、ボクも使わせてもらってます。
叔父さん同様、ボクの鉄板もあまり当てになりませんが…。