――わはははは、自動販売機の下に10円が落ちてました。ラ、ラッキーだぁぁぁ!!
――ハンバーガーにピクルスが2枚も入っていましたぞ! 我が人生に悔いなし!!
――雨の日は最高です! なぜなら、水たまりに反射して女子高生のスカートの中がのぞけるかもしれないからです!! しかしなかなか暗くてその暗部に光がともされることはありません。しかし雨上がりの虹とともに日の光が差してくれれば、そのプリズムは水たまりを反射して純白の貞潔を浮かび上がらせるでしょう!! 雨のち晴れ! 私の心もまた、この自然の循環に喜びを隠しきれません!! さあ若人よ、あなたたちも隠すことなどないんです!! 今こそは恥じらいの衣を脱ぎ去って自然の偉大さを! その純白を私に余すところなく見せつけてみなさい! いやお願いします本当に!!
俺の意識の中に、銅八先生の意識が流れてくる。
いや、もはやそれは自分の意識なのか、銅八先生の意識なのか。
その境界などは全て取り払われてしまっている。
それにしても……。
何とすがすがしい……アホなのだろう。
こいつの頭の中には全く後ろ向きな感情はないのだ。
いや、大部分はもっと後ろ向きでしかるべき感情なので褒められたものではないのだが……。
けれど、そうか。
生きるということは、
こんなにも楽しい感情をあふれさせられる可能性を秘めているということなんだ。
それは他人にとっては取るに足らない些細なことかもしれない。
自分だって意識しなければそれが楽しいと思えることもないかもしれない。
けれど、
辛いこと、悲しいことだけじゃない。
それを俺は知っている。
だから――。
俺は生きる。
そして俺の物語を幸せで飾るんだ!!
そして、ばらばらになっていた俺の意識のかけらが渦を描くように一つになり。
ささやかな光とともに、再び俺は意識体としての自分を取り戻した。
「おかえりのー」
俺のそばにはリノが笑顔で待っていてくれた。
そして自分も自然と笑顔になっていることに気がついた。
銅八先生のおかげ……なのかは分からないが、とにかく俺は自分が生きていくことの意味を見出したのだ。
「そういえば銅八っつぁんは?」
「そこでちゃっかり復活してるのー」
リノが指さす方向に、ぼんやりと光る銅八先生の意識体がいた。
もはや神々しさはかけらも残っていないけれど。
「もう、お二人とも酷いですよ~、私を置いて行ってしまうなんて。
おかげで私は一人であらゆる漢字パワーを使って何とかこの時代までたどり着いたのですよ! そして紆余曲折を経て、ヌーヌーさんに超高速で突っ込んでしまうという結果に至ったのです」
「どんな紆余曲折だよ、ってか空気を読めよ! さっきまで俺らはかなりのシリアスシーンで……そ、そうだ! 母さんは? お、俺はどうなった!?」
そこでリノは笑顔のまま指を差す。
その静かなマンションのベランダを。
そこでは、
俺の母親が穏やかな顔でこちらを見上げていた。
ベランダの手すりの内側で、俺を抱えながら。
まさか中空に浮かぶ俺たちが見えているのだろうか?
「それはないのー、キミのお母さんにはやっぱりあたし達は見えてないのー」
それでも母と目が合ってしまう。
けれど母は俺の意識体を通して何か遠くのものを見ているのだ。
俺の後ろにあるもの……。
それは煌々と輝く満月だった。
そう、母は静寂の中、ただ満月を見上げているのだ。
そこには先ほどの悲痛な面持ちも。
はたまた死を覚悟した時のような絶望的な感情も表れてはいなかった。
ただ満月の夜がもたらす平穏な静寂に耳をすませるかのように……。
そして、俺はふっと気付く、
それは母親も同じだったようで、急に我に返ったように自分の抱えているものを覗き込む。
赤ん坊の俺は母の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「寝ていれば本当に可愛いんだよな、俺」
「ふふっ、自分で自分のこと可愛いだなんて、恥ずかしいのー!」
「馬鹿、赤ん坊の時の俺のことだよ」
「私は今でも可愛いですぞ~。ほーれこのぷりちぃな唇がもう赤ちゃんのような柔はだぁえrじゃおうぇいdんふぉ!!!」
銅八先生のぼけにリノの激烈な突っ込みが入ったところで、俺は再び母親に向き直った。
母親も俺の寝顔を見て、かすかな微笑みが浮かんでいる。
さっき見た光景は何だったのだろう。
確かに俺は母が赤ん坊の俺を抱えてベランダから飛び降りる瞬間を目撃している。
けれど、今は何事もなかったかのように穏やかな時間が流れていた。
もともとそんなことは起きなかったのだろうか。
それとも銅八先生が闖入してきたことで、時間の流れが変わったのだろうか。
もしくは観測者としての役割しか持たない俺たちが、この世界の何かを動かしたのだろうか。
本当のところは何もわからない。
けれど、今目の前に映る穏やかな母の表情と、その腕に抱かれて安心したように眠る幼い俺の様子からは、もはや絶望や不幸といった類の言葉は連想できない。
もちろんこれからの長い人生、いくらでも躓くことや辛いことは待ち受けているのだが、
少なくとも、それらを経験することのない、もっとも早すぎるバッドエンドだけは完全に回避できたのだ。
そして、幸せを手に入れる可能性も残された――。
母はしばらく腕に抱いた俺の寝顔をながめた後、
部屋の中へと入っていったが、
ベランダのガラス戸に手をかける直前に、もう一度意識体である俺の方を見上げた。
いや、正確には月を見上げただけなんだろうが、でもその時ふっと微笑んだ気がしたのだ。
――大丈夫だよ。
とでも言いたげなその表情に、俺はちょっと居心地が悪いような、
でも安心できるような、そんな複雑な感情を抱いた。
「ねー、これからどうするのー? もうちょっと赤ちゃん時代を見ていくのー?」
リノが聞いてきた。確かにこの時代、俺の自我が生まれていなかっただけに、もっと知りたいという気持ちも強いのだが。
「いや、もう十分だよリノ。次の時代に行こう」
「うん、いつまでも赤ちゃんじゃいられないのー。
それに、キミの物語は始まったばかりなのー。巻きで行かないと作者が死んじゃうかもしれないのー」
「ははっ、俺の物語なんだから、俺が死なないと完結できない。でも死んだら書く人がいない。最初から完成させる気のない物語だけどな」
「はい、ネガティブなことはもう言わないのー。さあ前向きに未来へ進んで行くのー!」
「よーし、じゃあリノ、またタイムリープ頼むな!」
「まかせてなのー」
と、ここからお約束で銅八先生です。
「ちょ、ちょっと待ってください!! まさかまた私を置いて行くつもりですか!!
リノさん私も乗せてくださいよ。らいど・おん・みー・ぷりーず!!」
「絶対英語違うのー」
「私は国語をこよなく愛しているのです。英語などもはやどうでもいいのです!
もう私は英語など一切しゃべりませんよ!! もしこれから私が英語をしゃべるようなことがあれば、あなたのタイ……もとい時間遡行に同行させていただかなくても結構です。
それだけ私の決意は固いのです。日本語への愛にあふれているのです!! 愛、愛、愛、愛、I Love You !!!」
「タイムリープ!!!」
リノと俺は問答無用で銅八先生を置いて、未来へと旅立つのであった。
第1章 黎明期 ――完――
