まず紹介するのは、「本の読み方」平野啓一郎。

 

この本は、スローリーディング(遅読)を提唱している。

したがって、速読をこれでもかというくらい批判している(筆者も速読を実践済み)。

 

本は「先に進む」読み方ではなく、「奥に進む」読み方をするべきという本。

 

昔の人(本書ではカントやヘーゲルを例に)が読破した冊数は、印刷技術の関係で今よりも少なかった。

「だからといって彼らを無知で愚かな人間だという人はいないだろう」と言っている。

 

「中学や高校時代には、そもそもお金の余裕がなかったから月の初めに小遣いをもらって、欲しかった本とCDとを買えば、財布はすぐスッカラカンになって、あとは翌月まで、ひたすら同じ本を読み、同じCDばかりを聴いていた。しかし、そうした頃に出会った小説や音楽は、細部まで今でもはっきり覚えている(中略)。しかし大人になって一度に20枚ものCDを買い、スキップしながらざっと聞き飛ばしてしまうようなアルバムや、必要に迫られて、つい速読してしまったような本には、ほとんどマトモに内容も覚えていないようなものもある。」

つまり、量ではなく質が非常に重要と訴えている。

 

さらに、

 

「オレは本を何百冊も読んだんだ」と言っても「で?」と笑われるのがオチだ。

しかし

「オレはあの本の一節にメチャクチャ感動した!」と言うのは、単純にカッコイイし、その人の人間性について、多くを伝えてくれるだろう」

 

という文章は、確かにと思わざるおえない。

 

で、実際どのように奥へ読んでいくか。その手法を目次(一部抜粋)から記す。

 

・辞書癖を付ける

 

・作者の意図は必ずある・・・補足:創造的な誤読は薦める。でも独りよがりの誤読は避けるべき。文章とは誤読がどうしても想定されるもの。

 

・「なぜ」という疑問をもつ・・・なぜ作者はわざわざこういう書き方をしたのだろう。本当にそうだろうか。状況設定を変えてみたらどうだろう、など

 

・前のページに戻って確認する。

 

・人に説明することを前提に読む。

 

・複数の本と比較する。

 

・傍線と印の読書

 

・「我が身」に置き換えてみる

 

・再読にこそ価値がある。

 

私が本棚に並べている本で、お気に入りの本を言うのは簡単だ。

しかし、その内容や作者の意図を述べることができるかは、自信がない。

 

血となり肉となる読み方をしてこなかったからだ。

 

これからは、読んで感動するよりも、奥へ入っていく読み方をしたい。

ゆっくりでもいいから、少しずつ考えながら読んでみたい。

 

読書とは、作者と対話することなのだと知った。