ガラス製造社の研究員セシリアは、新規の事業取引先として、不動産王ヒューに関わることになる。
ヒューは高層ビル最上階の邸宅にて、秘蔵の鳥「硝子鳥」など希少動物を多く飼っていると噂されていた。
ある晩、セシリアは同僚たち三人と拉致され、目覚めると外が見えない特殊なガラス張りの迷宮に閉じ込められたことに気づく。
「お前たちの罪を知っている」というヒューの言葉に怯える中、突然ガラスが透明になり、研究員の一人が殺されたことが判明する。
傍には、どこからか紛れ込んだ「硝子鳥」が鳴き声を響かせていた……。
隠れる場所がないガラス張りの迷宮で、犯人はどこへ消えたのか?
※ねたばらし&酷評(というか一切誉めていません)を含む感想です。
未読、または不愉快な思いをしたくない方はお読みにならない方が賢明です。
ストーリーについてはさて置く。
物語性がどうのこうのと語る以前の問題として、鮎川哲也賞を受賞した作品のシリーズとして、これで本当にいいと東京創元社の担当編集はどうして思えたのか。
いつもいつも傑作を書け、と言っているのではない。
面白いとか面白くないという評価はあくまで主観だし個人の好みの問題もある。
僕が「つまらない」と思った本に最高の賛辞を贈る人がいることだってあるし、逆もあるだろう。だから、「つまらない」のは別に構わない。
でもこの作品は「つまらない」のではなく「くだらない」し「ダサイ」と思った。そして呆れた。
以下、その理由。
透明マントて!
ドラえもんかハリポタの世界ならいざ知らず、これパラレルワールドとは言え1980年代の話なんだよね?
精度の高いDNA鑑定が存在すると物語的にマズイので、時代は80年代に設定しました、でもトリックを成立させるために2019年現在でも存在しない、ドラえもんのひみつ道具は使っちゃいます。
って、さすがにこれは……ありえなくないですか?
透明マントがアリなら、大抵の密室トリックはこれで解決しますが。
前提として透明マントが存在することが明示されているならもちろんオッケーですが、多くの読者が気が付かないような微妙な伏線だけで突然、透明マント……。
これ、マリアが推理でたどり着いたというのが信じられない。
マリアはなんでこの世に透明マントが存在すると思えたのか。携帯電話もない時代なのに。
ああ、透明マント……(何回言わせるのか、透明マント)。
それから。
犯人が複数て!
ミステリ小説のアリバイトリックとか密室トリックとかの9割は共犯者の存在でクリアされてしまう。
「未知の科学を使う」ことに比べたらまだマシだとしても、「共犯」というのは禁じ手のひとつではないかと、僕は思う。
アンフェアではありませんが、「ダサイ」。
どんな難解な謎も解決してしまう、オールマイティカードが「共犯」。
エレガントな解決を容易く放棄し、すべてを無かったことにできる「共犯」。
これほど簡単に使われていい手法なのだろうか。
たとえば連続殺人の1件目だけが別の犯人、くらいなら許容範囲だし、交換殺人やリレー殺人のように犯人が複数いるのが前提のトリックは例外として、死んでるのが10人ちょいで、殺人者が4人もいるってさすがにどうだろう。
作者は「女王国の城」の「読者への挑戦」を読んだことはあるだろうか?
論理の糸の一端は読者の目の前にあり、それを手繰った先に犯人は一人で立っている。
ゾクッとするだろう。
この身震いするような快感が本作の解決には一切ない。
さらに。
「硝子鳥」の叙述トリックを、作者と担当編集者は本気で「フェアだ」と判断したのだろうか?
東京創元社の社内に、「この叙述トリックはどうよ」と言う人間は一人もいなかったのだろうか?
密室の中でチャックたちと硝子鳥が出逢う、あのシーンの数ページの描写をフェアだと?
はじめて硝子鳥を見るはずのイアンとセシリアが何も突っ込まないのは誰がどう考えても不自然だろう。
イアンにいたっては「どこであんな綺麗な鳥を」とか言い出しているし。
フツーなら「キレーな鳥だよね……って、人間やん!」的なノリツッコミをしてもいいくらいなのに。
ネットの感想を読むとこの「硝子鳥=人間」だと思っていた人は多いようだが、地の文ですら「鳥」と明言されている描写からそれを見抜くのは不可能だろう。
鋭い読者たち(僕を含まない)は、あまりにも硝子鳥の描写がしつこく不自然だったから、何かここに隠されていそうだぞ…と推測したに過ぎない。
叙述トリックの見破られ方としてはサイテーの看破のされ方だろう……。本当にダサイ。
東京創元社と、鮎川哲也賞というブランドはこれを決して認めてはいけないはず……とまで言ったら、言い過ぎかもしれないが、本気でそう思ってしまった。