集中豪雨で崩壊、全滅した山村にただ一人生き残った男を、テレビカメラとレポーターが、貪るようにしゃぶりつくす。
遺族の感情を逆撫でし、ネタにしようと群がるハイエナたちに、男は怒りがはじけ、暴れ回る。だが、男をさらに過酷な仕打ちが。
強烈な皮肉と諧謔が、日本に世界に猛威を振るっている「第四の暴力」マスコミに深く鋭く突き刺さる!
ギョーカイに疑問と不信を抱くすべての人に贈る問題作、激辛の味付けで登場。
深水黎一郎さんの作品はそのジャンルが結構バラエティに富んでおり、
個人的には「本格ミステリ作家」であって欲しいと思っているのだけれど、
わりといろんなタイプの作品を書かれている。
本作は……何だろう、ドタバタSF? 近未来SFなのかな?
筒井康隆さんや横田順彌さんのような、と形容したほうがわかりやすいかもしれない。
単純にそういうものが書きたかっただけなのかな…と邪推したくなるくらい、何の新味もない小説だった。
(彼らのユーモア溢れるドタバタ劇には遠く及ばないけれど)
結末(というか後編)が分岐する手法も「今さら?」という印象しか受けないし、
「ジョホールバルの歓喜」「ドーハの悲劇」をわざわざタイトルに使っている意味もわからない。
マスコミ批判がしたいのかもしれないが、それはネットでバラエティ番組を叩いているのと何の違いがあるのか?
小説の体を借りて何かを主張したいのは別にかまわない。
だけど、それが小説である以上、小説自体が面白くなくては意味がない。結末はどちらに進んでも暗いだけで面白くもないし。
第一、マスコミ批判が主題のアジテーション小説だとしても弱い。
マスコミの暗部に踏み込んだルポというわけでもなく、それこそネットサーフィンしていれば得られるような知識だけで何となく書いてみましたというような作品では誰の心にも響かない。
こういうのはTwitterでやって。マジで。