美しい異国の蝶が天井を埋めた部屋で殺害されていた男。
何のために蝶の標本が天井に移されたのか。
鮮烈なイメージの表題作ほか、小指ほどの小さな鍵の本当の用途が秘書殺しの謎を解く「鍵」など、おなじみ有栖川・火村コンビの名推理が冴えわたるミステリ全六篇。
「国名シリーズ」第三弾。
※ねたばらし満載なので、未読の方は回れ右してください。
「ブラジル蝶の謎」
純粋なパズラーという意味では結構易しい部類に入るだろう。
死体の転がっている部屋の天上一面に張りつけられた色とりどりの蝶の標本。
誰もが目を奪われるその光景ということを考えれば、犯人の狙いは発見者の目を死体から逸らすこと…だろう。
他の発見者が天井に見とれている間に、犯人は被害者の生死を確認する振りをしながら、アリバイづくりに利用した携帯電話(スマートフォンに非ず)をその手に握らせたのである。
被害者は十数年もの間、孤島で人と会わず、テレビもラジオもインターネットも利用しないという仙人のような暮らしをしていた。
久しぶりに出てきた都会で殺害されたわけだが、そんな彼が携帯電話を見て、それが電話だと認識できたわけはない、携帯電話を握らせたのは犯人の作為であると火村は見抜いた。
んー……どうだろうか。
(買い物などで人と会うことはあったわけだから)携帯電話をまったく知らずに暮らすことってできるのかなあという疑問はあるものの、確かにまったく知らなかったら携帯電話を「電話」だと認識するのは難しいかもしれないし、万が一、認識できたとしても使うのは難しいかもしれない。
まあ、全体的にはシンプルにまとまっていると思う。
「妄想日記」
分裂症の被害者が書いた造語と、タイルにマジックで書かれたぐちゃぐちゃに交差する線が挿絵(?)として挿入されている。
誰もが目を引かれる造語の方には何の意味もなく、タイルの線の方がむしろ真相におおきく関わっているというところが面白い。
ひき逃げ事故を起こしてしまった分裂症の患者が、罪悪感から恐怖に怯え、その恐怖を振り払うために、「魔除け」をたくさん用意していた……というのは、有栖川有栖さんお得意の「雑学ミステリ」である。
(前述のタイルももともとは「五芒星」が書かれていた)
ちなみに言うと、僕はあまりこの「雑学系ワンアイディアミステリ」があまり好きではない。
料理の仕方は巧いと思うけれど、こういうのは感心できても、驚きはない。
「彼女か彼か」
火村先生以外に、もう一人、蘭ちゃんという探偵役が登場する。
蘭ちゃんって言ったって、女性ではなく……いや、女性なのか?
そしてトリックも、その蘭ちゃんだからこそ判った、というもの。
実際問題としては、ひと晩でそれほど髭が伸びない人だっているので(たとえば僕がそうだ)、それが決定的な証拠になるわけではないよなあと思わなくもないが。
「鍵」
ある屋敷で資産家の秘書が殺害された。
現場にはひとつの鍵が落ちており、資産家の若き妻がそれは自分の宝箱(ただし中身も箱そのものもせいぜい数万円)のものだと言うが、実際はそうではなかった。
この小説のミステリは「これは何の鍵なのか?」ということ。
すでにこの事件を解決している火村は、アリスに対して「ヒント――犯人は甘木一郎です」と、犯人の名前を告げる。
いや待て。犯人の名前がヒントて!
それくらい、このミステリにおいて「この鍵は何を開錠するものなのか」がキーポイントになっているというこのなのだけれど。
「人食いの滝」
まるで宙を歩けるかのように、真っ直ぐに断崖に向かって進んでいる被害者の足跡が雪の上に付いている。
そこには被害者の片道の足跡と、発見者の往復の足跡しか存在しない。
周囲にいた人間たちは降雪後は全員、アリバイがある……というのがミステリなのだが、本当に有栖川有栖さんは足跡トリックが好きだな。各短編集にひとつは入っているような気すらする。(さすがに大袈裟か)
犯人が用いたトリックは、降雪前に殺害をし、被害者が履いているのと同じ長靴を20足用意し、それを(自然な足運びになるように)履いては脱ぎ、履いては脱ぎし、並べていく。
雪が降った後、長靴を回収すれば被害者の足跡が完成する、というわけ。
でもこれって「雪が降る」ということが確定していなければ成立しないトリックで、雪が降るかどうかなんて(確度は高いとしても)100パーセントではない。
さらに言えば、長靴を回収した後も雪が降り続いていなければ、(長靴の下には一切雪が無いので)かなり不自然な足跡になってしまう。
殺害をしてしまった後はもう引き返せないのに、かなり運任せのトリックであり、美しさという点ではちょっと今ひとつのような気がする。
「蝶々がはばたく」
推理は非常にシンプル。というか、もともと、別に事件でも何でもないし。
足跡を残さず消えた二人。その足跡をさらったのは津波でした…なんて。
この短編集の中で僕の一番のお気に入り。
世間的な評価を考えても、有栖川有栖さんの短編の中でかなり名作の部類に入るのではないだろうか。
推理小説としてのレベル云々じゃなく。
感傷的に過ぎるかもしれないけれど、それでもやっぱり好きだ。
関西在住の有栖川有栖さんでなくては書けなかった作品だと思う。
悲惨きわまりない震災の被害を思うと、それを奇跡などという言葉で美化することはできない。しかし、神がどんな無慈悲な仕打ちを行おうとも、どこかで蝶々ははばたくのだと私は思いたかった。嵐が吹き荒れてしまったなら、せめてせめて、蝶々がはばたくがいい。